牛深地区振興会では、「地域伝統芸能である牛深ハイヤを活かし、地域活性化を図る」を目標に掲げ、様々な活動に取り組んでいます。


 毎年4月には牛深ハイヤ祭りが開催され、市内外問わず多くの方々に楽しんでいただいているところですが、より多くの方に牛深ハイヤを知っていただくため、「ハイヤ体験交流講座」の開催やハイヤ太鼓の創作、マスコットキャラクター「ハイヤちゃん」でのPR活動などを行っています。


初めは動きのぎこちなかった参加者も、次第にリズムに合わせて楽しそうに踊るようになり、最後には「楽しかったー!」と笑顔でお話しいただきます。


 牛深ハイヤ


12月5日()6日()には「うしぶかあかね市」が開催され、タイ釣り大会や物産市など、大変なにぎわいを見せます。また6日()18時からは、酒盛りをしながらハイヤを楽しむ「座ハイヤ」も行われます(申し込みが必要です)


皆さんどうぞ牛深へお越しくださいまして、楽しいひと時をお過ごしください。



五和町東部に位置する御領地区は、「石を投げると文化財にあたる」といわれるほどたくさんの史跡が残る、文化薫る地域です。今回は、その中でも有名な2か所を紹介します。


 


【豪商松坂屋(石本家)屋敷】天草市文化財指定


  

石本家屋敷


江戸時代、貿易などで財を成した石本家の屋敷。


石本家が全盛期を迎えたのは5代目石本平兵衛の頃で、幕府及び諸藩(薩摩藩など)への大名貸しのほか、金融・問屋・酒造など、経営は多岐にわたりました。


  広さは約1,200坪で、敷地を囲む塀には「御領石」が使用されており、まさに豪商としての繁栄の一端が伺えます。


 


「御領石」とは・・・約9万年前に起こった阿蘇山大噴火の火砕流が固まって

                    できた溶結凝灰岩。


 


 


芳證寺(ほうしょうじ)衆寮堂(しゅうりょうどう)天草市文化財指定


 修行僧の勉学や宿泊の場として使われていた衆寮堂。


建物は、ほぼ建設当時のまま残されており、国内でも数少ないと言われています。


毎年秋頃には地元小学生を対象とした寺子屋体験も開かれ、人々に親しまれています。


   

衆寮堂

 


【イベントの御案内】


 御領地区の魅力は史跡だけではありません!


地域資源の一つである竹灯ろうや石灯ろうに火を灯し、地域を幻想的な光で包み込む「御領石竹秋宵まつり」は、平成17年から開催しており、年々来場者も増え、御領地区の一大イベントとなっています。


 今年も10月24日・25日の2日間開催しますので、皆さん、ぜひご来場ください。


「第11回御領石竹秋宵まつり」


・とき=平成27年10月24日(土)午後6時~同9時


25日(日)午後6時~同8時30分


・ところ=御領門前町商店街一帯


・主な見どころ


  1. 灯りの饗宴…約5,000基の竹灯ろうと石灯ろうで、幻想的な空間を演出。

  2. 御領まっさき市(特産物バザー)…地元の新鮮な野菜やおいしい食べ物や竹灯篭などを販売します。

  3. 上中万五郎氏による昔ばなし

琴の演奏


秋宵まつりポスター


今回は本町の誇れる名所を紹介します。


【鈴木神社】


天草復興のために力を注いだ初代代官である鈴木重成公、兄の鈴木正三和尚、息子の二代目代官鈴木重辰公を祀る神社。境内には、重成公の遺髪塚や、市の文化財でもある鈴木明神伝碑があります。


鳥居をくぐり一歩境内の中へ足を踏み入れると、ひんやりとした癒しの空間が広がります。毎年11月23日には鈴木神社例大祭と併せて本町ふるさとまつりも行われ、多くの人で賑わいます。


(写真)鈴木神社           (写真)鈴木明神伝碑


鈴木神社           鈴木明神伝碑











(写真)ふるさとまつり       (写真)ふるさとまつり②


ふるさとまつり     ふるさとまつり②


 

東向寺】


天草島原の乱後、民心安定のために正三和尚こと鈴木正三が建てたお寺の一つです。


創建は慶安元年(1648年)。


幕府の威光を示すため、本堂内に徳川家康をはじめとする徳川家の位牌があり、本堂や庫院の天井には美しい花や鳥の絵が描かれています。


皆さんもぜひお越しください。


(写真)東向寺


東向寺

 



江戸時代の頃から福連木地区の東の山間部には、約300ヘクタールにわたり、樫の木ばかりの美しい天然林が広がっていました。


04 角山から望む官山の山々


この山は『角山』といい、地区住民の共有林であり稼ぎ山でしたが、山の樫の木が日本一の槍の柄になると知られたことから、およそ200年もの間、江戸幕府直轄の領地となりました (現在の国有林で、山々を福連木官山と称されました)

幕府の山となると同時に、『御林』、『おとめ山』といわれて地区住民は一歩も山に踏み入ることができなくなり、稼ぎ山が無くなってしまったことで苦しい生活を強いられたため、小さなかわいい娘たちまでもが子守奉公として出稼ぎに出て家計を助けました。

娘たちは異郷の地でまじめに務めましたが、夕方になって赤い夕焼け空を眺めるたびに、故郷懐かしさに「父ちゃーん、母ちゃーん」と両親を呼びながら望郷の念に駆られたのです。そんな娘たちの子守の心情を唄に託したものが『福連木の子守唄』です。


03 「福連木子守唄&童謡まつり2014in天草」の様子


現在、福連木子守唄保存会が中心となって、正調の保存・継承活動に取り組んでいるほか、地元有志により「福連木子守唄&童謡まつり」を毎年開催しながら、多くの方にPRするなど、地域が一体となって子守唄の保存継承に取り組んでいます。         

 

【問い合わせ先】

福連木里づくり振興会事務局

TEL 0969-45-0001



 宮野河内地区は、河浦町の東部に位置し、北は新和町、南は深海町と接しています。自然豊かな不知火海に面しており、タイやブリ、車エビなどの養殖が盛んです。

 また、海に面する山には、デコポンなど柑橘類の栽培も行われています。このほかにも天然記念物の「貨幣石」や「ヘゴ」の自生地があるなど、自然あふれる地域です。


 写真1「産島」




①産島



 不知火海に浮かぶ無人島「産島」・・・周囲約5km、海抜261.7mのこの島は、なだらかなピラミッドや小さな富士山に似ており、その整った山の形から「天草富士」とも呼ばれています。


この島には、神功皇后が朝鮮に出兵された際、この島で応神天皇をご出産されたという言い伝えや、景行天皇が熊襲討伐のため九州に来られた際、女官の一人が出産されたなどの伝説があり、“産島”という島の名前の由来となっています。


また、島の北側にある産島八幡宮のそばにある湧水の池は、言い伝えられているご出産のときに「産湯(うぶゆ)」として使われたものと言われており、この池の水は普段は赤茶色く濁っていますが、手にすくえば清明で、元旦には不思議なことに透明になるとも言われています。安産・子宝にご利益があると伝えられ、遠方からの参拝者もいらっしゃっています。


そのほか、島内には歴史あふれるさまざまな史跡が存在しており、山頂には愛宕様の石碑と盃状穴の巨石や古代神殿とおぼしき石組み、産島八幡宮境内には直径80cm、厚さ約10cmの石貨などがあります。


写真2「神輿船」


②祭礼


 毎年10月には、市の無形民俗文化財に指定されている「海を渡る祭礼(産島八幡宮例祭)」が開催されます。この祭礼は、200年以上の歴史があり、神輿が魚船に乗って海を渡る全国でもめずらしいお祭りです。今年は、1024日(土)~25日(日)に開催されます。

 ぜひ、おいでください。


前へ  72 73 74 75 76 77 78 79 80 81  次へ ]      402件中 376-380件