島子地区振興会
島子地区は、有明地域の西端に位置し、北はおだやかな有明海と雲仙の山並みを望み、
南は動鳴山(標高495m)がそびえる自然豊かな地域です。
総面積は11.21k㎡で、山林が多く、脊梁より有明海にそそぐ5水系により海に向かって拓けています。
有明町大島子のファミリーマートから海の方に少し下ると、『沖の田』という地区があります。

ここにある『林様の屋敷』と呼ばれるところの一隅に、《林兄弟の墓》があります。
その昔、大島子に住んでおり、天草島原の乱では幕府軍唐津藩侍として戦い、この島子の地で戦死した林兄弟を今回はご紹介したいと思います。

寛永14年11月13日、有明町上津浦に上陸したキリシタンの天草四郎方は翌日の14日、大島子の諏訪神社で幕府軍と遭遇します。しばらく小競り合いが続いたのですが、幕府軍の大将【並河九兵衛】は人家から離れた広いところで戦えと命令し『沖の田』まで撤退、川を挟んで天草四郎方を待ち構え、この『沖の田川』を挟んで大激戦となります。
この中で活躍したのが、大島子に住んでいたといわれる【林
又右衛門・小十郎】兄弟です。
彼らの亡くなり方には諸説ありますが、この戦いを見ていた地元の人々が、兄弟の霊を弔うために林家の屋敷の一隅に兄弟を埋葬し、墓地に2本の松の木を植えました。
今ではこの松の木はありませんが、伝承では成長した松の木の片方は枝がなく片方は梢がなかったと云います。
武者姿の兄弟が度々地主の夢枕に現れるとかで、地主がその武者姿を絵に描かせ碑を建てたといわれています。

今では松の木も武者姿の絵もありませんがお墓だけは残っていて、近所の人たちが兄弟の霊を慰めています。
墓地はファミリーマート島子店から旧道に入り、つきあたりを左に行ったところに案内看板があります。
地区の旧跡として後代まで伝えていきたいですね。
【お問い合わせ】
島子地区振興会事務局 TEL:0969-52-0452