こんにちは


昨日、6月17日(木)お昼の12時~14時までみつばちラジオ🐝のお昼の生放送が下津浦地区コミュニティセンターからリスナーの皆さんへ届けられました📻♬ 公開生放送です!


午前8時30分 管理人たちが出勤してきて間もなく早くも第一陣が。

ブース

ブースの準備に取り掛かられました。



ブース2


放送は12時からなのに、公開生放送の日は毎回こうして早くから準備されるんですね~大変だ💦



番組の冒頭でご紹介された、泰山木(タイサンボク)

本日のタイサンボク




コミセン近くの 92歳の小島さんのお宅で事前に収録。(樹齢120年ほど)

落合さん

※すみません💦 2本あるうちの太くない方の木でしたm(__)m


泰山木についてお話されましたが、遠くにいらっしゃる息子さんは聴いていらっしゃったでしょうか?

とても92歳とは思えない元気な声が皆さんのもとへ届いたでしょうか?


そして12時30分ごろ、話題の内容は下津浦諏訪宮秋季例大祭(太鼓踊り)について。

太鼓踊り保存会長の福永さんと、出田下津浦地区振興会長

出田・福永


長い歴史のある下津浦の太鼓踊りですが、25~26年ほど?は子ども会が主体で子どもたちが踊っていました。

子どもの数も減少し、子ども会として太鼓踊りを続けていくことができなくなり、令和元年度の秋季例大祭で子どもたちが踊るのは最後でした。


令和元年度秋季例大祭



そして昨年4月、太鼓踊り保存会が発足されました。

上のリンクに貼ってある例大祭でも踊ってくれた子ども会のOB(現在の太鼓踊り保存会の主となる20代の青年たち)が頑張ってくれようとしていましたが、昨年は新型コロナウイルスの影響で思うようには活動できず・・・

今回も、平日ということもあり出演は難しく、自分たちの思いを書いたメッセージを振興会長が代読。。。という場面も。

福永。出田


福永さん、出田さん、この後登場される河内さんも、ラジオ放送をせびらかしひやかす)に来られた副会長の小島さんも、皆さん太鼓踊り経験者。管理人が子どもだったころの青年です

それはそれは勇ましくてカッコよかったですよ~💛



昭和52年11月、天草の郷土芸能大祭典で最優秀賞 翌年の熊本県総合青年祭でも1位。

昭和53年11月、全国青年大祭では優秀賞を獲得されています。

全国大会


東京


当時は、特訓のため1年~2年の間は、ほぼ毎日(360日くらい)その日のうちに帰らせてもらえなかったそうです。12時までずっと練習というわけではなくその後の飲み会までですが(笑)

全国大会から20年後、当時の青年が40代の中年になられたころ?このメンバーで踊られたそうですが、管理人はちょうど千葉の松戸にいたころですね~お祭りには帰って来てないので見ることができていません!

昔のように、年間360日特訓すれば60代の今でも踊れるのではないでしょうか!? 見てみたい!!



今後は現在の20代の青年たちが中心に、また勇ましい姿を見せてくれると思います。



公開生放送での下津浦の3つ目の話題です。

河内.後藤

下津浦の歴史について・・・なんと、今現在コミセンがあるこの場所も大昔は海だったそうです!

そう話しはじめられたのは、有明まち魅力発見隊の河内さん。と地区振興会事務局の管理人です。


管理人これまでスタジオで2回、電話で2回出演させていただきましたが、今回は出る予定ではなかったんです!

本番始まって河内さんの出番まであと30分というところで急きょ出ることになりました(;´∀`)



河内さんのお話は、知らなかったことばかりで、タイムスリップしたかのように情景が浮かんできてとても面白かったです。

さて、なぜ管理人が隣に座っているかと言いますと、管理人のご先祖様のお話が出ました。

ざっくりお話すると、管理人のご先祖様は、江戸時代に中国地方から綿を仕入れて、長崎や熊本(市内)の方に売っていた、当時『綿屋』という屋号がありました。


河内.後藤 本番


子どもの頃にお隣の上津浦に遊びに行くと『あんたはどこんし(人)ー?』と聞かれる。下津浦と答えると、その先を聞かれる。苗字を言っても同じ苗字があるからピン!とこられない。そこで『わたやです』というと『あ~あそこん人ね~』と祖父や父の名前が出てきていました。


管理人、旧姓を明かさずにブログを書いてきたので、今回でばれる?ではないか!?と思っていたら、昨日副会長の小島さんから『〇〇さんの娘さんやったと?』と数人から聞かれたと言われました。


途中、管理人は必要やったのか?と思うくらい河内さんの歴史の話しが続き、最後の方にパーソナリティの落合さんが管理人にお話を振ってくださいました。


小学校2年生までコミセン近くの下津浦小学校に通い、プールがなかったので夏は学校下の川で体育の時間に川遊びをしたお話をしました。


昨日はお話していませんが、あるときは川遊びで濡れたので学校そばの商店で先生がパンツを買ってくださいました。先生はパンツ代を母に請求されたのか?管理人もちゃんと親に伝えたのか?

見覚えのない新品のパンツがあったからおそらく気づいてはいたでしょうね?

何でもありか?てくらい楽しい学校生活でした(*`艸´)ウシシシ



適度な緊張感と、みつばちラジオの方とのやりとり。

昨日はとてもいい経験をさせていただきました。

放送終了後に自分のおばあちゃんを思い出しました』とか『感動しましたにもいろいろな感想が寄せられたそうです(人''▽`)ありがとう


下津浦のことを広い地域にわたって知ってもらえるいい機会だったと思います(*´ω`*)


リスナーの皆さん、みつばちラジオの皆さん、ありがとうございました<m(__)m>






皆さんこんにちは

いつものようにいろいろ書きたいところでありますが、今日は短めに宣伝です

ただいま午後1時40分。


皆さんはラジオはよくお聴きになりますか?

最近よく『ラジオは今日やったかあ? 明日やったかあ?』と聞かれます。


『来週の木曜日ですよ! 17日!』


来週6月17日木曜日 みつばちラジオの公開生放送

昼12時~14時まで 下津浦地区コミュニティセンターからの放送です📻


6月1日のみつばちラジオさんとの打ち合わせ後に、まずアプリを入れてみました。

6月8日は2回目の打ち合わせ。


その後も何人からも『ラジオは今日やったかあ? 明日やったかあ?』と聞かれたので、どのように来週のことを紹介していただいているのかな?と昨日は、事務室のラジカセで午後からずっと聴いていました📻


下津浦地区コミュニティセンターとは

新コミセン完成

場所を移して、新築で今年4月に開所しました


国道324号線から中道に1.5㎞ほど入ったこのような田舎でございます。

ドローンからのコミセン


”皆さんの心のふるさとになるような、そんな素敵な所です”

みどりの3

と紹介していただきました。 ↑ ↑ こんなところです。


先日の管理人のブログの中で、管理人が子どものころから変わらない景色と書きましたが、もしかしたら、このあたりのもっと昔はこうだった!というお話が聞けるか・も?しれませんよ!



2時間の放送の中で、下津浦諏訪宮秋季例大祭(太鼓踊り)下津浦の歴史、この時期に咲く花泰山木(タイサンボク)の話題が紹介されます。


タイサンボクとは ↓ ↓

泰山木 2



泰山木1


ご紹介した下津浦の3つの話題が、6月17日(木)のお昼12時からの冒頭と、12時30分ごろ、13時15分ごののどこかでご紹介されます。


来週の木曜日のこの時間はぜひ、下津浦地区コミュニティセンターからのみつばちラジオの公開生放送をお楽しみに♪(*´ω`*)







皆さんこんにちは

先週の金曜日に更新したばかりですが、長女が週末に観ていたジブリ作品のDVDの中から、そのブログに通ずるような内容が聞こえてきたのでまた更新します。


みどりの3

前回載せていたこの何気ない田舎の風景。



そのジブリ作品の登場人物のセリフの中で”田舎の風景というものは、自分たちの古いご先祖さまがつくりあげたものなんです”そのような内容でした。

上の写真の風景は管理人の子どもの頃からほとんど変わっていません。

でも、確かによく考えたら田んぼも自然にできたものではなく、昔の人たちがつくりあげたものなんだな?と思いました。


↓ ↓ではこれは?

づくられたもの


つくられた田んぼと、彼岸花ロードの道沿いの伸びきった草・・・


人間の髪の毛で言うと、この辺の方言で おえかぶっとる状態です。

おえかぶる

自分の髪の毛だったら早く切りたくてイライラしてきますね((´∀`*))ヘヘ


来月の町内クリーン作戦でスッキリすることでしょう・・・



ところで、皆さんは『沖縄時間』という言葉を聞いたことがありますか?

ググッてみると、日本本土とは異なる時間感覚。または、沖縄において集会・行事などが予定時刻より遅れてはじまることと書いてありました。

下津浦で行事をしようとすると・・・例えば?鯉のぼりを揚げる作業を部会の皆さんで日曜日にしていました(ここ数年は、コロナだったり、日曜日雨天で、日にちをずらして行っていますが)8時集合にしていると、時間より早く来られた方が作業を始めようとされていました(7時40分ごろから)そうすると、時間よりちょっと前に来られた方が遅刻してきた?みたいな感じになってしまうのです(;´∀`)

その傾向は別の行事の時もありまして・・・さすがに事務局より先に来られると管理人も慌ててしまいますので、ある時管理人は、早く来すぎないでくださいという意味で『時間厳守ですよ!』(笑)と言ったこともあります。

沖縄時間にちなみ、管理人は逆に早く始まってしまいがちな下津浦のことを『下津浦時間』と呼んでいます。


その早く来られる方は、それを苦にされていないのはわかります。

早く来ることで自分が安心されるんだと思います。だからそれを他の方に強要されてるつもりもないのだと思います。なぜなら、管理人自身がそうだからです。


最初に就職した会社で”5分・10分前行動”ということをよく言われましたが、管理人は子どものころからどちらかというとそうだったと思います。


浦和小学校に通っていたころ、学校へは8時10分までに着いていなければなりませんでした。

決められた登校時間に出れば十分間に合う時間に、逆算して時間を決めていました。

たま~にありますよね?〇〇さんちでちょっと時間オーバーということが・・・。現在のコミセンあたりで8時のチャイムが鳴ろうものなら(゚д゚)!💦焦ります。低学年の子を気にしながらも、ちょっと小走りで先を急ぐのです。


管理人には3つ上の姉がいまして、管理人が小6のころ姉は中3。

管理人は7時20分には家を出ていたが、なんと姉は7時30分からのアニメの再放送を見る余裕があった。

今はなき管理人の母校、有明西中学校は下津浦にあり、管理人宅はわりと学校に近かったのだ。


ならば、管理人が中学生になった時にアニメの再放送を見てから登校していたかというと?

そうではなく、身支度が済んだら無駄に早く登校していました。

いつも7時30に登校してくる島子の同級生の二人組。

『そがん、早く着けば先生たち迷惑やん!?』とその二人に言っていたが、管理人こそその迷惑のひとりではないか!?( ̄▽ ̄;)



またある時は、起きたら50分!?Σ(゚Д゚;≡;゚д゚)

起きられなかった自分が悪いので、何で起こしてくれなかったのか?と親に言うこともなく、身支度をして『行ってきます!』とだけ言って、走って学校へ行った。

あれ?誰もいる気配がない。 今日、学校休み? なんで管理人には連絡がなかったの?とちょっとパニくる。


3階のベランダの柱の時計を見るためにテニスコートまで後ずさってみる。


10分!?ギリ、セーフやん!?


と思ったのだが、10分は10分でも、8時10分ではなく、7時10分だったのだ。

そういえば、お父さんまだ家におったやん?お父さんがおったということは、まだ7時前だったてことやん?などと思いながら一度帰宅。

そこで初めて『何で言うてくれんやったと?』と親に言う 『朝練でもあるのかと思って』と返ってきた。

朝ご飯を食べて、再び無駄に早く登校する。


管理人は昔から自らが言う『下津浦時間』に当てはまるせっかちな人であったのです。


今日の、もう一つの下津浦時間は

みどりの下津浦 1

これだけ広い風景の中に、聞こえてくるのはどこかの家庭の草払いの音。


別の意味で、管理人のものさし📏で見る のどかで ゆっくりと流れるこの時間下津浦時間と呼べるのではないか?と思います。


お・ま・け

ピンクのあじさい





皆さんこんにちは

6月に入り、今は梅雨の中間といったところでしょうか?


昨日から今日の午前中にかけてにくじんごと雨が降りました。


アマガエル🐸は雨が降って喜んでいるでしょうか?

アマガエル

これといって特別なことはなかったのですが、毎年この時期の恒例となりました下津浦のみどり一色の景色で癒されていただこうかな?と思い、更新します。


みどりの下津浦 1

数日前の写真なのですが、稲が生長してすっかりみどり色になりました🌾


みどりの5


管理人の話しになってしまうのですが、管理人は若いころに千葉の松戸に住んでいたことがあるということを何度か書いたことがあると思います。管理人の住んでいた松戸市の周りの景色は、このような下津浦のような緑の田舎風ではありませんでした。

最初のころは、夏休みをもらって帰ってきたときに、明日松戸に帰ることを『明日、また(松戸に)行くけん!』という言い方をしていました。まだまだ気持ちは下津浦人だったわけです。

それが数年後には『明日(松戸に)帰るけん!』という言い方をしていることに気づくのです。生活の拠点は松戸で、時々里帰りする天草は、帰ってくると やっぱり天草はよかな~ もう辞めて帰ってこうかな~?なんて思うのですが、松戸に帰ってフワフワした気持ちでいるのは帰った翌日だけで、2日目にはもうすっかり松戸のライフスタイルに戻っているのです。 (今朝もテレビで”千葉県松戸市”と聞こえてきたので思わず、家事の手を止めて見てしまいました)


まわりに方言の通じる人がいないかったので松戸にいた当時は『〇〇しちゃって・・・』なんて無理して気取って話している自分が気持ち悪くて((´∀`*))

天草在住の今ではすっかり『〇〇したっですけど~』なんて言ってます。


それこそ、数年ぶりに『にくじして~』という言葉を聞いた時に、久しぶりに聞いたな~その方言!( ̄▽ ̄)と嬉しかったですね。

にくじ・・・意地悪・嫌がらせという意味なのですが、昨日はほんとににくじんごと(嫌がらせか?というくらいに)雨が降りました”


みどりの2


雨が降ると、植物は生長します。

管理人のこの大好きな下津浦のみどりの景色もますます深い緑に・・・。

夏はそれが黄金色に変わり🌾、稲刈りが終わると茶色に。

管理人はその何色でも、この毎日見ている景色を見飽きることがない。


管理人宅の5年生の長男は4年生の途中まで月刊コミックスのコロコロコミックを読んでいて、数ヶ月前から毎週月曜日発売の週刊コミックスへとジャンプしました。何回も読んでそして飽きるのかな?毎週月曜日・・・ちょっと大変です。

そして、それがいつの日かヤングジャンプに変わるのだろうか?


このような例えに用いてしまい、怒られてしまいそう?ですが、世のお父さん方が思春期に隠し持っていたであろう?雑誌。(※管理人の憶測です)見飽きるというか、また次号を楽しみにされていたことでしょう?


しかし、何度も言いますが管理人はこの下津浦の景色を毎日見ていても見飽きることがありません。

みどりの 校舎

↑矢印 の所に見えるのは有明グラウンド(旧有明西中学校の体育館・現在は下津浦体育館)なのですが、校舎はもうありません。管理人の年の離れた方の姉が言いました『建物はもうないけど、私には3階建ての校舎が今でも鮮明に見えるんだよね~』と。

実は管理人にも見えます。肉眼では当然見えていません、記憶がいまでも校舎を写し出しているのです


現在のコミセンももちろん1年前の迫分館も鮮明に覚えています。

あと少ししたら、旧コミセンも解体されます。

けれど、おそらく忘れないんだろうな~と思います。


あれから約1年



もしかしたら、このホームページをご覧の方の中にも、この下津浦の風景を見て昔と変わらない下津浦を写し出し、懐かしんでおられる方がいらっしゃるのではないでしょうか?

みどりの3

管理人はここからのショットがいちばん好きかもしれません📸

※タイトルと内容はあんまり関係なかったですね( ̄▽ ̄;)


お・ま・け ㋅3日のコミセンのゴーヤ

㋅3日 ゴーヤ最新


おはようございます

昨日は、天草市内の多くの小学校が運動会で、今日はお疲れの方も多いのではないでしょうか?

有明小学校も短縮プログラムとはいえ、お天気にも恵まれ無事に終わりました。

今日はまた雨ですね~


先週の金曜日に新コミセンの中をご紹介しました。

帰宅してからふと?これまでコミセンの建設経過を時々ご紹介してきたけど、毎回おまけみたいな感じで紹介してきたな~?と思い、リクエストにお答えして?別に誰からもリクエストはされてませんけど( ̄▽ ̄;)・・・管理人の自己満足の更新です!!


↓ ↓ こちらが今年4月開所した、下津浦地区コミュニティセンターです。

新コミセン完成



1年前に遡ったところからご紹介します。


↓ ↓ 昨年の5月頃までは、コミュニティセンター迫分館として存在していました。

迫分館



昨年6月解体工事。

解体 1



7月初旬 更地の状態。

更地完成



9月11日  安全祈願祭

安全祈願祭②


安全祈願祭③


10月初旬

建設①


建設②


10月15日 コンクリート打設工事

コンクリート打ち



打設2



打設


11月9日 柱が立ちました

骨組み2


11月の数日後

11月13日


11月19日

11月19日



12月下旬 事務室内装

新事務所


大会議室内装

大会議室 新


外観

外観2



12月23日最新2


今年1月上旬

コミセン 壁


2月初旬 駐車場の舗装

舗装仕上げ


管理人が撮った写真はここまでです。


内装工事の様子は年末に見せていただいた時に撮ったもののみです。

今年3月に完成し、落成式を行い、先日のブログでご紹介した内容につながります。


下津浦地区コミュニティセンター落成式



新コミセンのご紹介















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