【女御地蔵様】
上野原大野橋の近くに、身の丈二米程もある大きな地蔵様が、その両脇には男女の小さな地蔵様が二体祀られている。
古老の伝えるところによると、本渡町山口の染岳様(禅寺)より注文を受けた下内野在の石工の苦心作である。いよいよその完成をみた。
そこで人夫二十数名を集め、交替で大野部落まで運んでは来たが、昔の道のこと狭い上に丁度暑い夏の日盛りで、運搬には難儀を極めここで一休みすることになった。さて、一休みの後、掛け声も勇ましく塊蔵様を持ち上げようとしたのだが、どうした事やら地蔵様はビクッともしない。再三繰り返してみたが中には腰を抜かす者も出て万策尽きたが、そこに一人の知恵者がいて「この地蔵様は大野部落が好きでここに祀らるるとば願うとらすとばい」と言った。皆の者も「なるほど、そうじゃろうそうじゃろう」と賛成し、早速その場所にお堂を建てて安置したと言う。
寛永三年の事であるが、今でも大野部落の信仰の的として今日に至り、毎年六月二十一日には祭りがあり、線香の煙はたえることがない。
【染岳参り同違いの巻】
昔、内野に(内野川流域)にうろたえ八平と言う人がいた。
旧一月十七日の夜、八平は家内に「あしたあ、早よう起きて染岳様に参るけん、弁当と賽銭、そしてきもん(着物)ば用意しとけ」と言いつけて寝た。翌朝暗いうちに起きて前の晩用意してある弁当を包み、着鞠を着替え、別々に包んであった賓銭と小遣銭をもって家を出た。
あまり早く出たためまだ暗く、道端の地蔵堂に腰をかけやすんでいるうちに夜も明けたので、出掛けようと思っていると、前を通る人が八平を見てみんな笑って行く。なんで笑うのかと首をかしげながらひょっと自分の股間を見ると、障子紙を間違えてふんどしにして、そのうえ、先ほど小便をしたとき滴がかかり穴があいて、そこから一物が頭を出していた。何とかつくろって染岳様の近くに着いたのでやれやれと思い弁当を開くと、にぎり飯と間違えて枕を包んできていた。
腹はすくし、仕方なく出店で餅でも買って食べようと「餅ばくだっせ」と言って、お金をみると賓銭包みだけで小遣い包みの方を賓銭に上げていた。あわてぬふりをして「いくらなぁ」と聞くと「五厘」と言う。
三厘しか持っていないので餅を一つ取り、三厘包みを投げ出して一生懸命に駆け出した。後から「コリャコリャ」と呼びながら追いかけてきたがようやく逃げ延びたので、もう来ないと思い餅を食べようとすると、餅ではなく餅の看板だった。
なんもかんも間違いばかりで、これもみんな俺の「カカァ」(女房)が悪かと…。とプンプンして自宅に走り込み、いきなりカカァの髪をつかんで引き倒し気のすむまで打ったり踏んだりしたら気持ちはおさまったが、気がついてみたら自分のカカァではなく隣の「おかみ」であったと言う。
【狸に化かされた話】
昔、井手に一人暮らしのおせんと言う婆さんが、御領の親戚に法事があったのでお参りに出掛けたときの話。
昔、御領に行くには山道しかなく、人通りも少なく樹木が繁った道であった。お参りを済ませ、藁づとに土産を詰め夕方の山道を急いだ。
ところが翌日になっても、おせん婆さんは帰って来なかったので近所の人が騒ぎ立てた。先方に連絡に走る人、山道を捜す人で騒ぎは広まった。村じゅうこぞって山狩りをしたが見つからない。
ところが身内の者が捜していたところ、山の木々があまりに揺らぐのでその方角に行ってみると、何と円形の土俵が作られ、土俵面の雑木やシダは同じ方向になぎ倒され、その中央におせん婆さんは息が切れていた。その様子からして、婆さんは一晩中狸と相撲をとらされ、根尽きて死んだという。
婆さんが法事の土産を分けてやれば、命まで失うことは無かっただろうにと、悲しまれてならない。