【いで(井堰)上の水をくるな(汲むな)】
 水田用水の使用については、村の秩序を保つため我田引水の弊害を戒める習わしとして、「井手の水は絶対に汲み上げてはならない」とされていた。

水利権の争いを少なくするための不文律の一つであり、どんなに日照りが続いても、自分の田が枯れることになっても、このきまりは厳重に守らねばならなかった。

【たのもし講】
 
たのもし(頼母子)講とは、仲間や知人で小グループを作り、金銭や物品を融通しあってお互いに助け合って行く仕組みのことで、全国どこにでもあった。手野の場合は、困った人が出てくると、周囲の人がこれを助けるため講を発起し、助けられる人の名を取って「吾作どんの講」と言っていた。
 
講を落札するときは御馳走があり、「講の向こう飯」としていくつもの語り草が残されている。