八十八夜】
 立春から数えて八十八日目、農家に霜を注意する意味で、明暦三年(1659年)に暦に記載されたのが起源といわれる。
 種を播いたり、梅の熟度をみたり、お茶摘みを始めるなど、農耕上の重要な目安とされた。

【七夕】
 旧七月七日の朝早く、茶碗を持って里芋やハスの葉の露を集め、その水で墨をすって短冊に字を書いたものである。
     「七夕様は棚から落ちて尻うって、アイタァイタとさするサンスケ」
     「七夕天の川」…一一・などの字を書いて、大きな竹に吊るして庭にたてた。
 また、男はゾウリとか縄を、女は紙で着物を作り竹に結び付け、七夕様に供えた。供え物の中には、農作物のなす、きゅうり、からいも等があった。
 そして、一番早く地面に落ちたのが、七夕様がそれを受け取られたのだから縁起が良いと言われた。七夕の飾り竹は二週間たて、七月二十一日に取り除く物とされ、それまでの間、祖先の霊が家にとどまっていると言われていた。

【十五夜】
 旧八月十五日、仲秋の名月を観賞するが、上流階級の風流とは別に芋名月とも言って収穫祭の意味があり、家では新から芋や、その他の初物、ダゴ(団子)等を供え、「ブエン寿司」を作って食べ、外では、新藁を集めて大綱を練り、賑やかに綱引きをしたり、大綱で土俵を作り相撲を取ったり子供にとっては楽しい行事の一つである。

【イノコ
 十月の初亥の日に行うが、新米で餅をつき神様に供える日である、万病を除くまじないや、子孫繁栄を祝う意味が込められている。

【虫追い】
 古くから行われていた農村行事の一つで、稲の害虫を追い払うため、松明を灯して鐘鼓を鳴らし、また、彩りも鮮やかなノボリをふって大勢で練り歩いたといわれる。天草の米どころ、一町田や小宮地などでは、今もこの行事が受け継がれている。又、手野では、農繁期が終わる七月末頃に虫追いと称し、農休日となっている。

【さなぼり(早苗振)】
 田植えの終了を「さなぼり」といい、御馳走を作って食べるが、さなぼりとは「早苗振の神事」から来たもので、手野でも、カマドの荒神様に三束の苗を供え、豊作を祈り感謝の念を捧げる習わしがあった。

【タガレ落とし】
 田植え後の農休日の一っで、一週間、十日と田植えを続けていると、田の「アク」が爪や皮膚にしみついて取れにくくなる、これをタガレという。
全く田圃の土に触れない日を設けて、早くタガレを落としたいと言う願いが込められている。

【もやい、かてり(「結い」のこと)】
 田植えの時など、農繁期にはたくさんの人手を要したので、「もやいjと言って労力をお互いに交換し、助け合って行く。村ならではの美しい風習があった。農作業だけでなく、冠婚葬祭をはじめ生活上の各面までこうした考えは貫かれ、村の集団生活の基本となっていた。