女猟師 わたしが猟師になったワケ
地域や国を超えて人と人がつながるミクシィ、ツイッターなど便利なシステムができた。中には知らない人との交流を訝しがる人もいる。私は最近、実名が条件のフェイスブックを始めた。
サイトで長野県の女性と友人となった。彼女は神奈川県生まれで首都圏の大学を卒業して、木挽き職人の手記に感動し、プロの木こりになった女性だ。
その女性が猟師として取材を受けたことを知った。
その本が『女猟師 わたしが猟師になったワケ』
本を開くと五人の女猟師の方が紹介されている。猟銃を構えた写真。解体された猪や鹿、ショッキングな写真もある。
スーパーに行けばいくらでも肉が簡単に入る時代に幸せに暮らし手いる動物を殺さなくてもいいではないかといわれる。
「しかし命に差はない。食肉用で飼育される豚や牛と、山の中を歩き回る猪や鹿。どちらも同じ命なんです。その命を頂くことで私たちは命をつないでいる。肉を単なる栄養としかみなさないで、パック詰めの向こうにある命に感謝の念も抱かない。自分の手で命を奪い、解体し、感謝して食べる猟師のほうが命の尊さを知っていると思います」と語っている。
私たちが口にする食事は、肉、魚、野菜そのすべてが生きている命を頂いている。しかし今、命に感謝することが軽んじられ「いただきます」の言葉がただ単に食事のスタートの合図になってはいないか。
もう一度解体された猪や鹿の写真を見直した。命を頂くことの意味を伝えるものとして貴重な写真となった。彼女が語るように『命を頂く』命の尊さに感謝しながら大切に食事をしたいと思った。
そんな彼女はヨガ講師の肩書を持ちスタイルもさながら本当に伸びやかな女性である。