延慶寺の臥龍梅と司馬遼太郎
今日は生憎の雨模様であったが、菩提寺の兜梅が見ごろを迎えたのではないかと気になり夕方から参拝した。
本堂にお参りを済ませ裏庭にまわると、家族ずれの姿があった。裏門をくぐると「もののふの つまのこころや かぶとうめ」の碑文が目に入る。
天正年間の天草の合戦で、武将木山弾正の妻、お京が鎧兜を身にまとい敵陣の中に割って入ったが兜の緒がこの臥龍梅にからまり討ち取られたという。
司馬遼太郎の海道をゆくの中で次のように紹介されている。
紫折戸を押すとすぐひらいた、なかは瀟洒な茶庭で庭としてはよほど古いものらしく思われた。さらに庭の奥へ侵入すると、雀色の夕闇いっぱいに、無数のクリーム色の点がうかんでいた。三千世界に梅の香が満ちるということばがあるが香りよりも何よりもこの場の情景は花の美しさだった。
幹や枝などは、夕闇に溶けてしまって、よく見えなくなっている。無数の花だけが、宙に、地面に、浮かんでいるのである。樹齢は五百年ほどだという。ぜんたいに低く、苔の丘いっぱいにひろがっている。
地に横たわりつつ幾つかの方角に伸び、幾頭かの臥竜が動いているようにも見える。……白梅にはチリ紙のように薄っぺらい白さのものが多いが、ここの梅の花は、花弁の肉質があつく、白さに生命が厚っぽく籠っているような感じがする。
ともかくも、こういう梅の古木も花のいろも見たことがなく、おそらく今後も見ることがないのではないかと思われた。
(街道をゆく 島原・天草の諸道 司馬遼太郎)