地方の文化を支える技術

本渡第一映劇

 

 熊本県天草市に客席数100席あまりの小さな映画館がある。歴史は古く50年近くになる。天草の文化の一翼を担っている。

 

 今日は、藤沢周平さんの「闇の穴」を映画化した「小川の辺」を楽しんだ。親友でもあり妹の夫でもある男を、藩の命により討つこととなった主人公が、義理と人情の狭間で揺れ動きながらも、運命に導かれていく。

 

 山形県の美しい自然と音楽が切なさを増幅させていく。携帯やインターネット、都市の喧騒など現代社会に慣れてしまった私には本当にゆったりとした豊かな時間を過ごすjことができた。

 

 この映画は35mフィルムを映写機で映し出すものだが、映画の世界でも急速にデジタル化が始まっているらしい。データ通信によって配信するシステムで綺麗な映像が見れるという。しかし一方でデジタル化には多額の経費が掛かり、営業成績が上がる映画館にしか配信しないことも考えられるという。

 

 高度成長期に首都圏に大量生産システムをつくり地方から若者を吸い上げたように、地方に残る映像技術や映像文化がまた採算性重視の考えによって吸い上げられていく。

 

 イタリアのボローニャには、映画図書館、グラフィック資料館、付属映画館などが集積する世界に誇る映画の保存と修復の複合施設「チネテカ」というものがあるという。1980年代に映画修復研究所に加えて、映画館が併設され、チネテカ・ディ・ボローニャは広く知られるようになった。フィルムの保存は1万5000本、映画関係の蔵書は2万冊に及ぶという。(「ボローニャの大実験」による)

 

 日本にも35mフィルムの保存や映写機械を集め、その技術を活かし地方の映画館を残すような地道な取り組みが必要だと思う。地方の文化までもが合理化や採算性で消えてしまって、本当に豊かで幸せな国といえるのだろうか?

 

ガルニエ神父の思い今も

夕闇に包まれて

 

 

 天草西海岸をドライブ大江天主堂に立ち寄った。教会はフランスのガルニエ神父が建てられた。

 

 司馬遼太郎の街道をゆく・島原天草の諸道にも紹介されている。

 

 いまこの地で、聖者のように追慕されているルドヴィコ・ガルニエ(1860~1940)という神父が赴任するのは明治25年である。・・・・・この方は80歳でなくなるまで、一度もフランスに帰らず、この山の中に居続けたのです

 

 同じ服を着て、食べるものはカライモとネギだけでした」死ぬときも、かたわらのひとたちに「私の墓はよか石で造るに及ばん。そぎゃん金が有ったら、病人や暮らしに困っている人にやってくれ」という意味のことを言い残した。(街道をゆくより)

 

 夕闇に浮かぶ大江教会は今もひっそりと村の各家庭の団欒を見守っている様である。

向き合うこと、支えあうこと、伝え合うこと

地球の上に生きる2011 JICA九州

 

 

 JICA九州の主催で「地球の上に生きる2011」が熊本市国際交流会館で21日から開催されている。紛争、災害、貧困の苦難に苦しむ人々など国際的な問題を報道写真を通して伝えようとするもの。国際フォトジャーナリズム大賞受賞作を中心に国内外のカメラマンの作品82点が展示されている。

 

 高度経済成長が8%と経済成長の部分のみが大きくマスコミ等で取り上げられるインド、しかしその陰の部分では、炭鉱で朝5時から働く子供達がいる。年齢は4歳から15歳とのこと。地下のマグマが熱する土の上を素足で作業する子供の写真はまさに地獄絵である。カースト制度が生まれたばかりの罪のない子供の上にどうしようもない重荷を背負わせているのだろうか?

 

 フィリピンでは貧困が原因で風俗店で働く母親、それでも風邪が原因で6歳の子供を失ってしまった写真がある。日本では考えられない出来事が起こっているまさに貧困の連鎖だ。

 

 ロヒャンガ族というベンガル系民族集団は、ミャンマーではイスラム教徒であるために支配集団の仏教徒から弾圧され、バングラデシュにおいても不法滞在者として冷遇され自由な移動も制約されているという。

 

 また気候難民という見出しの写真もあった。気候の変動によって農作物や家畜も枯れてしまう国もある。いずれも信じがたい光景である。

 

 目の前の写真は平和な日本で暮らす私にはいずれも信じがたい写真であり、どこかデフォルメされたもの思いたい気分になった。しかし、いずれの写真も報道カメラが切り取った現実である。会館を退出する時JICAからのアンケートに答え、これから情報を配信していただくようにした。

 

 国際交流会館を出て、電車通りを超え新市街へ都会の喧騒、そこには人間が作り上げた物に溢れている。おにぎり、パン、ジュース、お菓子などなど、お金さえ払えば目の前になんでも揃っている。移動は電車、自動車、何の不自由もない。そんな現実を目にし、しばらく時間が経過すると先ほど見た写真の記憶が薄れていく。何とも情けないものだ。

 

 そして私達は、平和な普通の生活を送れることがいかに幸せなことか気付かなくなっていくのだと思った。私は、もっと他の国のこと、そこに暮らす人々のこと。もちろん3月11日に襲った東日本震災のそれぞれの地域の復興のこと、苦難の道を希望をもって立ち向かっている人々のこと。これらのことにいつまでも心を寄せ、向き合い、支え合い、伝えあい、その苦難を少しでも多く分かち合っていくことが必要だと思う。そのことを忘れない様にブログに掲載した。

「地球の上に生きる2011」は、熊本市国際交流会館で27日まで開催中。

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