島子地区は、有明地域の西端に位置し、北はおだやかな有明海と雲仙の山並みを望み、
南は動鳴山(標高495m)がそびえる自然豊かな地域です。総面積は11.21k㎡で、山林が多く、脊梁より有明海にそそぐ5水系により海に向かって拓けています。
【宮崎啓介氏石像】


島子地区コミュニティセンター敷地内に、1体の石像があります。
慶長2年、角中豊平氏の4男として生まれ、のちに宮崎勇太郎氏の養子となった、『宮崎敬介』氏の石像です。
昨年の大河ドラマの主人公『渋沢栄一』氏とも関係があったそうですが、どんな方だったのでしょうか。
19歳の時上京、三十一神学校に入学。特に語学が優秀だったそうです。
卒業後は伝導や教会司教の職に就きましたが、さらなる就学の必要性を感じて、長崎からアメリカに渡り、3、4年後帰国しました。
帰国後は職探しの日々が続きましたが、ふと受けた東京商法会議所臨時職員採用試験の会場にて、当時の会頭『渋沢栄一』氏と出会いました。語学が堪能だったため、事務職員ではなく、渋沢氏の秘書となります。
こうして宗教界から実業界へ転向した宮崎氏ですが、その後は大阪の堂島米穀取引所の支配人に就任、ついで同所理事になり、さらにその後大阪株式取引所の理事に転じ、さらに理事長になりました。
不振にあえいでいた各企業の立て直しを、次々と成功させる手腕に、『会社立て直しの鬼才』ともてはやされるようにまでなりました。


そんな大立者も、郷里の島子、そして天草を忘れることはありませんでした。
経済人となった宮崎氏は、偉大なる師『渋沢栄一』氏から、経済の原義たる【経国財民】の精神をたっぷり学び、継承するところがありました。
経済活動は【公益】を増進するものでなければならない。私人の利益追求にとどまるべきではない。
こうした理念の上に、強い愛郷心が加わり、宮崎氏はことあるごとに島子や天草に大金を寄付しました。
そしてその寄付金で、現在の島子地区コミュニティセンターも建てられることとなったのです。
昭和3年11月11日に、脳溢血にて帰らぬ人となられました。享年61歳でした。
島子地区に寄られた際には、シルクハットを手にし、堂々と立っている『宮崎敬介』氏にぜひ会いに来てくださいね。
【お問い合わせ】
島子地区振興会
TEL:0969-52-0452