暑い日が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。
熱中症のニュースも毎日のように流れる時期になりましたので、
こまめな水分補給・外出の際は帽子等々お忘れなく。
しかしここに、帽子もかぶらず、水分補給もせず、
たまらないくらいに暑くとも、縮こまりそうなくらい寒くとも立ちつづける方がいます。
宮崎さんです。
『誰っ!?』と思われる方が多いと思います。
管理人も何十年と島子に住んでますが、小さいころは『〇げたおっちゃん』と思うだけでした。
いや、正直最近までそう思ってました。
この像は島子コミセン入口にドドーンと建っております。
この像のことは知っているけど、誰とかまでは・・・・・という方が、管理人と同年代、それ以下の方はほとんどでしょう。
今回この像のことを調べてみました。
この像のモデルは 宮崎敬介さん とおっしゃいます。
慶應2年(1886年)に島子で産まれました。
19歳で上京し、
学校を卒業したのちに伝導や教会司教の仕事に就きます。
しかし更なる勉学のため、アメリカへ渡ります。
3~4年後に帰国し、北海道へ。
山林事業に就きましたが失敗。
その後、氏の運命を変える株取引の仲介人となります。
ここで宗教界から実業界へリクルートしたのです。
全く違う分野へのリクルートでしたがコレがうまくいき・・・・・・
その後は取引所の理事長にまでなったり、
米穀取引所の支配人になったり、
大阪電灯㈱の取締役にまでなっちゃったりと
次々と成功していきます。
その後もいろんな会社の重役をまかされ、いつのまにか実業界の重鎮に。
今でいうならソフトバンクの孫社長みたいなもんでしょうか?(違うか。)
そんなこんなで財を成した宮崎さん。
しかしよその地で大活躍していても、産まれ故郷のことを忘れたことはなかったのです。
昭和3年に島子振興資金として4万円を寄贈しました。
今の価値で約1億です。
一億って・・・いくらだろう???ポカ───( ゚д゚ )───ン. ...
本渡のほうにも今の価値で約2500万円ほどのお金を寄付されました。
こういったことからこの像が建てられたものと思います。
その後まもなく、脳溢血のためこの世を去られました。
ものすごく簡単に、わかりやすく今回は書いたつもりですがいかがでしたでしょうか。
少しでも宮崎さんのことが分かったことと思います。
今後は『オッチャン』ではなく『宮崎さん』と呼んでくださいね。
あ、私もか。 ヾ(゚ε゚ )ォィォィ