九州大学大学院教授・建築史家・工学博士の藤原惠洋(ふじわら けいよう)先生が御領を訪問されました。

 今年度、御領まちづくり振興会では、天草市の「天草市宝島づくりチャレンジ支援事業」の採択を受けて、御領の魅力を地域の人たちや地域の外の人たちへ知ってもらうために藤原先生や九州大学の学生に外の目から見た御領の「良いところ」などについてアドバイスをいただくことになりました。

 今回、その事前の打合せとして藤原先生が御領に来られたということです。藤原先生は御領を散策され、御領の至るところにある「御領石」の町並みや文化の素晴らしさに感心されていました。

御領石の石垣

御領の地形を活かした海運や御領石の石積みなどについて説明する郷土史家の山本繁さん(右)と

その説明を聞く藤原先生(左)。

 

御領石の石垣は延々と続く

 御領石の護岸の石垣は延々と上流まで続きます。

 

さりげなく御領石の臼が

さりげなく軒先に置かれている御領石の石臼のある風景。

以前は石垣として使われていたであろう御領石が物置に・・・ 

石垣に使われた後か、未使用のものなのか・・・こんな風景も日常の中にあります。

 

木造船の船板が外壁に変身

江戸時代から造船業が盛んで、造船技術も高度であった御領。船板は、家の外壁としてもリサイクルされています。

船釘のあとがきちんと残っています。

 

武家屋敷の玄関の構えとフランス窓がある和洋折衷のお宅。以前は病院として多くの人が訪れていた

 元医院だったお宅。手前の玄関は、武家屋敷の構えの玄関の造りだそうです。

また、2階建ての部分の窓は「フランス窓」と呼ばれる西洋建築のものだそうです。

和洋折衷の貴重な建物です。

御領石が柱となった井戸の屋根

藤原先生が特に関心を寄せられた井戸の屋根細工。柱は御領石が使われ、両柱共に斜めに建っています。

 

豪商松坂屋石本家屋敷に到着 

 豪商松坂屋石本家屋敷に到着です。 

高度な石工の技術によって組まれた石垣

 石垣の緻密な組み方に感心されていました。

御領石の石臼 

豆腐などを作るときに大豆をすりつぶすときなどに使われていた御領石の石臼。

上にもう一つ重石の石があったようです。

さりげなくある御領石 

無造作に置かれた御領石。石塀として使われていたものでしょうか?

向かって右が西洋の組み方で左が日本の組から 

左側が日本古来の石積み、右側が西洋の積み方だそうです。

めがね橋の原型馬場の石橋

眼鏡橋の原型である馬場川の石橋。現役で車が通っています!

すごいですね! 

岩谷観音にあるお地蔵様の屋根。柱も屋根も御領石でできています!

こんな石でできた屋根は、他にあるのでしょうか?!

  ㈱九州産交ツーリズムの九州ナイスデイツアーご一行様が御領まち歩きに訪れました。

 今回のお客さまは10名。地元ガイドの案内で、御領石や石本平兵衛、長岡興就公の話を聞きながら御領の町並み散策を楽しんでいただきました。

 

坂本邸  

昔は天草から海外へ仕事に出ていました。その名残としてゴムの木が・・・

 

御領石が足元に・・・

足元には、以前石塀として使われていた御領石が新しい形として埋設してあります。

 

 

石本家2 

豪商松坂屋石本家屋敷。

造船業 

江戸時代から御領で盛んだった造船業。右側の家の外壁には船板がリサイクルされています。

 

 

 

 

 

 2月27日に栖本福祉会館で「天草宝島づくり講演会」が開催された際に、天草市まちづくり協議会連絡会主催による天草市まちづくり表彰が行われ、御領まちづくり振興会による「御領石竹秋宵まつり」の取り組みが奨励賞となり山﨑会長が賞状を受け取りました。

 この賞は、これまで御領まちづくり振興会が、住民参加により御領石をはじめ、地域資源、地域の魅力を同まつりで発信し、地域の活性化につながっておることなどが評価されたものです。

 これからも催しの内容が充実したものになっていくものと思っています。

 乞うご期待です!

 

中川天草市まちづくり協議会連絡会会長(右)から賞状を受け取る山﨑振興会長。

 

 

受賞した賞状です。地域の皆さん、おめでとうございます!

 

 平成23年2月20日(日)、御領史跡探訪(今回は御領大島地区(5分団)のコース)が開催されました。

 今回は、御領地区内外から約50人が参加され、若宮公園を午前9時30分にスタートし、午後3時まで五和史談会(山本さん、神田さん、泉さん)に説明を受けながら探訪しました。

 また、昼食には、公民館女性部の皆さんによる『豚汁』が振舞れ、お帰りの際には、御領まちづくり振興会わだちの会特製『わだち饅頭(高菜)』がお土産に配られました。

 今回の探訪では、「実際この地区に住んでいるが、こんな身近なところに多くの史跡や云われがあるということをはじめて知った」などのいろいろなご意見をいただきました。今回の皆さんの意見を参考に来年の史跡探訪に生かせればと思います。

 

御領史跡探訪(若宮公園).JPG  史跡探訪(若宮公園)

御領史跡探訪(寛政津波の供養塔).JPG 史跡探訪(寛政津波の供養塔)

御領史跡探訪(長崎鼻).JPG  史跡探訪(長崎鼻)

御領史跡探訪(天満宮).JPG  史跡探訪(天満宮:大島神社)

 

 

 

 1月7日の七日正月は、晴天に恵まれ、御領でも各分団(地区)で鬼火焼きが行われました。分団で実施される時間や接待も違いましたが、それぞれの分団で子どもたちや地域の人たちが集まり、新年のご挨拶をしながら鏡餅を鬼火で焼き、無病息災を祈う姿が見られました。

 

 

《鬼火焼きとは・・・》

 

 「鬼火焼き」とは、一般的に七日正月(小正月))の行事で、正月の松飾りなどを家々から持ち寄り、一箇所に積み上げて燃やすことです。

 鬼火焼きの火にあたったり、残り火で鏡餅を焼いて食べれば、その1年間健康などの言い伝えもあり、無病息災(むびょうそくさい)五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈る民間伝承行事です。熊本では「どんどや」と呼ぶことが多いようですが、全国各地の呼称には「とんど焼き」「とんど」「どんと」「さいと焼き」「さぎちょう」「おんべ」「おんべ焼き」など多数あるようです。

 

 

《他の地域とはちょっと事情が違う天草の鬼火焼き&しめ縄の飾る時期》

 

 鬼火焼きで正月の飾り物を燃やすのは他の地域と同じです。他と違う風習は、昨年1年間お世話になった玄関などのしめ縄などを燃やすということ。天草以外の殆どの地域では、正月に新しいしめ縄を飾り、七日正月の鬼火焼きで燃やしてしまいます。そして、それ以降は、次の正月までしめ縄は飾られていないのです。天草のように1年間しめ縄が飾られているのは珍しい風習なのです。

 この1年間飾られている風習は、よく天草島原の乱によるキリシタン弾圧により、「うちはキリシタンではありません」ということを示すためにしめ縄飾りが1年間飾られているというお話も聞きますが、実は、しめ縄は、家を建てるときの地鎮祭や安全祈願祭などで行う神事の際に、四方に縄を巻いて作る結界を簡略化したものと言われています。

 ということで、しめ縄は、家の中に悪いものが入ってこないように飾られるもので、しめ縄が1年間家の中を守ってくれているということになるのです。天草にはこの古い風習が今も残っているんですね~。・・・昔からの風習が残る天草・・・いいですね~!

 

《各地区の鬼火焼きのようす》

 

1分団.jpg

1分団(小串神社)のようす。

神社の鏡餅を焼いているところです。

1分団2.jpg 

正月飾りの門松などを各家々から持ち込み焼かれました。

1分団3.jpg 

堤田区長さんから焼きたての鏡餅分けていただき、ご利益も頂きました!美味しかったです。

2分団.jpg 

 2分団のようす。園児も園の先生と一緒に餅を焼いていました。

3分団.jpg 

3分団のようす(宮崎公園)。

3分団2.jpg 

この後、七日正月の祝宴が行われました。お肉が美味しそうでした!

4分団2.jpg 

4分団のようす(浜田のきのどん様付近)。

4分団.jpg 

園児たちも餅を焼くタイミングを待っているようです!

5分団4.jpg 

5分団のようす(若宮大橋付近・国道324号線沿い)。勢い良く燃えていました!

5分団3.jpg 

この後、門松やしめ縄も勢い良く燃えました。

5分団2.jpg 

松本区長さんのご発声で乾杯!背景は、無人島「亀島」です!

5分団6.jpg 

接待のようす。5分団恒例のざんざいが振舞われていました。

5分団.jpg 

手作りの焼酎漬け、美味しかったですよ!

 

5分団5.jpg 

ぜんざい、私もいただきましたが、とても美味しかったです!身体が温まりました。

前へ  1 2 3 4 5 6 7 8 9  次へ ]      46件中 16-20件