濱名志松著“天草伝説集”より


・・・  ≪池神様≫・・・


    魚貫町池田に大きな池がある。

  昔大津波によって湾の入り口に海底の砂がゆりあげられ

   て池となったもので、東西175メートル、南北330メートル、

   深さ約3メートル、周囲約800メー トル、天草島一の大池

   である。

    この池から池水が、海に流れていく川の台地に「池神

   様」が祀ってある。

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    昔、この池田の池に大蛇が棲んでいた。

 その大蛇は男大蛇であったという。

 正月には、その大蛇が若衆に化けて水の上に座っていた

  こともあるといわれ、それを見た者は目が不自由になった

  とも伝えられている。

    この池田の池の突端の岬は「魚貫崎」という 天草灘の

  荒海に面している。

 その遙か北方は海を隔てて天草町大江に「お万が池」と

  いう大池がある。

    その池には女大蛇が棲んでいて、その女大蛇の許へ

  池田の池の男大蛇が毎夜通っていたといわれる。

    その通路は「池田」から「唐干田」というところを通って

  海岸の絶壁を海に下りて泳ぎ渡っていたといわれる。

 今でも向辺田という所の海に面した断崖に大蛇のはい

  登ったり、下がったりした通路が鮮やかに残っている。

 そのために、大蛇の通路にあたる、唐干田の田畑が荒ら

  されて農民は困り果てたという。

    田植えのすんだばかり水田が、大蛇がのたうって通っ

   たために、かき田のようになり、甘藷畑も荒らされて収穫

  がなかった。

 そのために村人が困っている時、一人の旅僧が通りがか

  って田畑が荒らされるのは大蛇の通り道のためである。

   日輪様をその通り道に刻んでおけば、大蛇はそこは通る

   ことができなくなる」と言った。

 そこで、村人は相談して、その旅僧の言ったとおり、唐干

  田の入り口にある大きな墓石の面に「日輪」を刻み、その

  下に「南無阿弥陀仏」と彫り込んだ。

 それを切石様と呼んだ。

 そしたら、それ以来田畑の荒れることが無くなったという。

   ところがこんどは、魚貫崎の岬の沖合いに鯖、鯵釣りの

  漁船が嵐もないのに転覆して難破船が出て漁師たちが死

  んだ。

 そうした船の遭難が続くので、これは大蛇が海から魚貫崎

  の岬の沖を泳いで、大江の池にゆくからだということになり、

  西海岸の長山の鵜首(うくび)というところの小島に「月輪」

  を刻んだ。

 それを地域の人達は三日月瀬と呼んだ。

 それからは、漁船の転覆もなくなり豊漁が続くようになった

  といわれている。

 通路をふさがれた男大蛇は、それからどこへも出られなく

  なって、池田の池の主になったという。

   それを祀ったのが「池神様」である。

 祭礼は旧三月十八日、池田区の人たちが集まり盛大に催

  す。

   「切石様」も、「三日月瀬」も、今もあざやかに残っている。


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        <現在の池田池!右側に池神様>


大蛇伝説


 









  

 




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