1.教  

魚貫村の北側に「寺郷」と呼ぶ字名がある。むかし寺子屋があったからなのか、それとも安政2年ごろ「慈眼庵」という寺がこの近くにあったためなのか、「寺子」と呼ぶようになった由来は定かでないが、上野梅松氏の家が昔の「寺子屋」だったと語り継がれている。また、初代庄屋の佐々木権平の寺子屋が「庵の迫」と言うところに建っていたと伝えられているが、詳しい文献などは見当たらない。また、村の民家の一間を借りて宿とし、若者たちが夜だけ合宿し青年としての教育を受ける「男宿女宿」という風習があった。このように若者たちが集団の中で養成されていったことは全国的にも有名で、教育史上特記すべきものであろう。明治9年には、魚貫村前田(木下自転車店付近)に、敷地676.5㎡・建坪108.9㎡の校舎を新築し魚貫小学校が設置され、崎津村から吉田了三が教師に着任した。明治20年4月には魚貫尋常小学校(3年制)と改称され、同31年魚貫村池田分教場の設置、更には同38年4月には高等科を併設した。同41年4月には尋常科6年制・高等科2年制となり、校舎も魚貫村城下に敷地1,881㎡・建坪本校448.8㎡と付属倉庫・教員住宅が改新築され、本格的な学校教育へと発展していった。その後、大正9年11月に増改築がなされ、放送設備・電話・ピアノなどの校内設備も充実し、職員は校長以下21名・生徒数は本校男子294名・女子294名・合計588名、池田分校は男女計223名で、総計は811名であった。昭和22年4月には、6・3・3制の導入により新制中学校が誕生し、生徒数は男子197名・女子168名・合計365名、教職員は校長以下14名であった。

2.年中行事

年中行事で主なものは、住吉神社の秋祭り・十五夜綱引き・七夕祭り・亥の子などがある。住吉神社の秋祭りは今もお古式のまま行われ、参勤交代の行列の状況が取り入れられている。「鳥毛」と呼ばれる紺の袖半被・紺の股引き・白足袋・太緒の草履に調子揃えて御輿の後に続く、なかでも御輿担ぎは祭礼当日は天下御免の無礼講が許されており、村の家々に入り込み酒肴の御馳走を受けるのである。村人も着飾り御馳走を囲み年一度の祭りを楽しんだ。十五夜綱引き(9月15日)は、新町組と高手組とが旧庄屋の家の前を境にして分かれ、藁束400余りを使って綱を綯い、綱引きをするのである。深夜午前零時ごろから始まる行事で、戦時中は中止していたが昭和25年から復活したものの、青年団活動の衰退と共に現在は行われなくなっている。亥の子の行事は、旧10月初亥の日に、新米で餅をつき神様に供える行事である。幼児4人が一組となり、手ごろな丸い石をツタかずらで結びつけ、地搗きのような動作で「いわすエイトな、エイトなー、ついた餅が納戸の隅にゃ、今年が福じゃ、来年から万作じゃ、亥の子餅、一つわっされ。」と歌って回り、新米餅を貰うのである。七夕祭りは、杉の葉に色紙短冊をつけて祝うもので、子供たちは色紙の切残しを持って、四月豆の煮たものを貰うため村の家々を走り回るもの。

 地域資源

1.南天からの夕陽

魚貫町の南西部にある黒石海岸(南天地区)より、東シナ海を望む天草灘に沈む夕日は、藍色が一層美しく、その夕映えは地平線のかなたに空海を無境と思わせる絶大なる光景である。「南天から見える夕日」は、日本の夕日百選の一つに選ばれています。

水俣港から高速艇で70分・牛深港に着く。そこから海岸沿いに続く県道を夕刻車で走ると、夕陽と道連れになったよう……。10分くらいで到着するのが黒石海岸。明るい夕陽が降りてくるにつれ、真珠を養殖するため海に浮かんで見えるイカダは動く黒い縞模様となり、一種不思議な図形が広がる。・・・日本の夕日百選より」

2.      魚貫住吉神社(塩振り踊り) 

江戸時代1780年(天明元年)に魚貫住吉神社の祭典を司る者数名が、帆船を仕立てて大阪に上り住吉神社の祭典行事を習得したものが、その後300年来受け継がれてきたといわれている。塩振り踊りは、祭典の先頭で露払いをしてお供の身を清める意味がある。踊り手は引立烏帽子を被り、鮮やかな橙色の衣装を身に纏った二人の少年である。手桶と笹を持ち、笛や大太鼓・小太鼓のお囃子に合わせて左右に手を大きく振って踊る。行列の先頭となって踊るこの二人には、露を払い行列のお供の身を清める役割がある。手桶には、昔は干潮からまた満ちて来るときの海水を汲んでいたが、現在では神前に供えられた塩を使用している。また、この踊りは基本的に世襲制で伝えられており、その家系の男子のみが受け継ぎ披露する。

 

3.      忠魂碑

 日露戦争にはじまり第二次世界大戦までの魚貫町在住の戦争出兵者記念碑です。

(日露戦役記念碑 第六師団戦闘事暦 明治37年7月)

(日獨戦役記念碑 第十八師団戦歴 大正3年8月)

(慰霊碑 日支事変 大東亜線)

平成21年4月補修「工事費35万円」魚貫財産管理委員会より支出

 

 

 

※この編集に当たり、概況・政治社会・産業経済・文化については、熊本県警察本部:管内実態調査書より抜粋し、また、地域資源については、牛深市文化財保護委員会:牛深市の文化財(平成14年12月発行)より抜粋したものです。