●第1問
橋が架かる前、人々は瀬戸海峡を、満潮時には舟で、
干潮時には徒歩(徒歩)や人力車などで渡っていました。
天草の民謡にも「戻りゃ(戻りは)本渡のかちわたり」と歌われていますが、
何の民謡でしょう?

A、牛深ハイヤ節
B、天草小唄
C、福連木の子守唄



こたえ

A.牛深ハイヤ節

「牛深三度行きゃ三度裸、鍋釜売っても酒盛りゃしてこい、戻りゃ本渡ん徒歩わたり」と歌われています。




●第2問
瀬戸海峡に橋をかけたい理由の一つはバスを走らせたいからでしたが、
大正10(1921)年、天草島に自動車は何台あったでしょう?

A、100台
B、7台
C、25台



こたえ

B.7台

天草に自動車を持つ人があらわれたのが大正4(1915)年。
大正10年時点ではまだまだ少なかったのです。
●第3問
100年前、初代瀬戸橋が架けられました。
初代瀬戸橋は橋の一部が90度回転して、そこを船が通ることができました。
回転部分が開くのに何分かかったでしょう?

A、3分
B、6分
C、14分



こたえ
 C.14分

人が手でチェーンを捲いて動かしていたので時間がかかっていました。
●第4問
瀬戸海峡は橋が架かって人々には便利になりましたが、
そこを通る船にとっては大きな問題がありました。
その問題として間違いなのはどれでしょう?

A、サメが多くて危険
B、小さな船しか通れない
C、浅くて通れないときがある



こたえ
 A.サメが多くて危険

瀬戸海峡は潮がひくと人が歩いて渡れるくらい浅瀬だったので、
船は通るのが大変でした。

サメは天草西海岸(特に苓北町)がフカ狩りで有名ですね。
●第5問
瀬戸海峡を船が通りやすくするため、瀬戸海峡の海底を掘って
航路(運河)をつくる「瀬戸開さく」が始まりました。
「瀬戸開さく」に併せて、昭和33(1958)年、
瀬戸橋は大きな船も通れる跳ね上げ開閉橋に架け替えられました。
2代目瀬戸橋には、天草で初めての○○が付きましたが、
それはなんでしょう?

A、料金所
B、バス停
C、信号



こたえ
C.信号

船が橋を通るときは、自動車は信号が赤信号になりました。

ちなみに、天草での通行料金所はおそらく天草五橋が
初ではないでしょうか。
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