【山内の事】 河に副う平野のことは、「河内」。山に副って、或いは山に囲まれる平野は「山内」と言う。 家風に副って従う女性を「家内」、城では「内儀」と言う様なもので「山内」と言う言い方もすたれつつある。 【さくらん迫】 「迫」とは、「又」の事で、山の尾根が分かれた「急斜面」、或いは「崖」の事である。 【魚貫崎】 魚貫町の事を「鬼来たる」所とするのは対抗語がない。牛深市一帯は久玉を除き、対抗語と付随した言葉によって地名が残されている。 「蔵之元」があり、「上の倉」、「下の倉」(下須島)、「千反蔵」(浅海)、「蔵ん上」(深海)等。 「おにき町」とは「鬼を忌む町」、「福津」とは「福が集まる」と言う事であり、現代で言う「福は内」「鬼は外」の事である。 【慶長国繪図】 「慶長国繪図」の中に見える、牛深の地名は「対抗語」によって示され、古代天草郷の「郷割りの跡」を窺い知ることができる。 「ひらうら」(牛深市深海町下平)「上平」と「下平」、それに「産島」を併せたもの以北は、お宮に関連した地名が多く、「宮野河内」「小宮地」「大宮地」「宮田」「御所浦」がある。 【二浦】 「二浦」は、中世の時期には「早の浦」「亀の浦」の二村があり、「早馬」「早船」「早駕篭」が用意された「駅」であったのではないか。 「駅」とは、「従五位」以上の人に馬が用意され、それを乗り継いで行ける所である。 「五位」以下は「通し駕篭」、「山駕篭」などを利用した。 【潮海に相対する言葉】 「天付」とは、「海」(海を天)としたもので、「付」(つけ)は「月・築」などの文字に変化している。 深海の「出月(でづき)」は、下平にあり、牛深町の「砂月」長崎県の「生月(いきづき)」などがある。 天草も古代は「海濡(ままくさ)」であったと言う説もある。また、「天草案内」によれば、天草の異名を、「三島」「螺凝」「青螺島」「洞螺州」「瓢島」「天南」と称すとある。同書によれば、神代のころは「天の両屋」といわれ、「成務天皇」の御世には「建島松命」が「天草国造」に任ぜられた。とある。 湿地に、「あまくさ」と言う草がある。この草をウサギに食べさせると死す、と言うが、この草を漢字では「苓」と書くので、「天草」の事を「苓州」と呼び、「苓南」「苓北」とに分けて現在「苓北」と言う言葉が残っている。 天草の形を、「子を連れて波間に躍る兎哉」と、形容している。 【天草案内】から 天草の地名を「天草案内」(大正13年、元田重男・みくに社発行)によれば、「天草」とは、「上下二島」並びに「大矢野」「長嶋」の総称にして、神代における、「天兩屋」(あまのふたや)の事であるとしてある。 【天草の事】 「天草」の事を「苓州」と呼んでいる。 「あまくさ」の事を「苓」と書き、「あまくさ」とは、「ウサギに食べさせると死ぬ」と言う草で、井戸の内側、湿地などに自生する草の事であり、その草からもじったものである「苓」を「あまくさ」と書く事から始まる。 古代天草は、一つの国で、天草の国主は「成務天皇」の頃「建島松命」と云い、天草国の中の郷名を「波太」「天草」「志紀」「恵家」「高尾」などの郷名が出てくる。(知名抄)
【牛深の地名】 牛深の地名は、「潮は深し」の意味で、「潮」が「牛」に訛ったものでなく、古代「潮」の事を「牛」によって表現されたものであろう。 岡山県牛窓市、(うしおはまろぶ)の意味。「潮」の早き事の意味であり、佐賀県の「牛津」は、「潮」を集めるの意味。 阿久根市の「牛の浜」なども「潮」の広さを表現し、出水郡東町と長島町を二分する「うしん瀬戸」があるが、当て字になっている。 牛深の事を、別名「水字湾」(あまくさ)とも云うが、「牛深湾」の○(判読不明)から取ったものである。 【天付】 古代には、「海人」たちの事を、男を含めて「あま」と呼んだ。海のジプシーの定着を意味するものであろう。 【下平と上平】 「天草氏」一町田に定着するや、天草東海岸、第一の要港(神戸商船大学所蔵、薩摩船旅之図による)として栄えた「ひらうら」(下平)は、「寺沢家」支配によって「上平」と「下平」に分割されたものであるが、「地名」「業病人」の捨て場などにより、その片鱗を伺い知る事が出来る。 【深海の地名】 深海の地名は、鎌倉時代に逸早くその名を見せた。村高の最も小さなこの地が重要な土地として認められ、江戸時代初期まで「水軍の根拠地」として重要な地点であったためであろう。 この頃の集落は、対岸の「ホウシの浦」「京泊」「矢の口」方面である。縄文遺跡の「椎の木崎古墳」(なこま)。中世の渡し場「矢ノ口」「鬼塚古墳」などを残している。 【浅 海】 中世期、海賊達の守り神であった「竜宮社」は現代は「じゅくささ様」として転化し、紀州有田地方の「密柑」はこの地が原産とされている。 【山之浦と内の原】 牛深市周辺の地名は、必ず二つの「対抗語」によって称えられ、「山之浦」と「内の原」は古語では、相対する言葉である。「内の原」とは、山を越えた箇所を云うのである。 「山之浦村」「浅海村」の玄関口とした「内の原村」は、江戸時代、正保の頃、久玉村に編入された。 【囃し唄】 思い出しゃせんかのい 泣きゃせんかのい 時々きゃ思い出して 泣くばかり サアー 箱根は山だよ 辛抱は金だよ 【覚え書き】 |