【肥後国早浦村丈八の帰住の伺い書】
覚
私御代官所
肥後国天草郡早浦村
百姓 市労郎兵衛
弟 丈八
当巳32才
右の者は、去る寅年(1818年)10月中に家出致し候に付き、所どころへ相尋ね候へ共、行方が相知れず候に付き、一昨年の正月に村方へ相伺ひ、人別帳外しを申し付け候。
然る処、この度立ち帰り帰住を相願い候間、家出の始めから終わりまでの事情をよく調べ候処、まえもって貧乏で生活に困り、苦しいあまりに心得違いをして、去る寅の10月に、日は覚えておりませぬが黙って家出いたし、筑前の国姪の浜へ行って、日雇いで労働いたし居り候へ共、故郷を忘れ難き故、今般立帰り候間、元の通り早浦村人別に加わり申し度。
尤も、この上はできる限り相慎しみ、農業に精出し致すべく旨申し立てており、村方において、行き先々へ交渉した厳しい問い合わせを承り候へ共、この者の申し立て通りにて、悪事に拘わり合いは一切なく御座候間、帰住の申し付けこれ有り度き旨、親類・ 組合・村役人一同が相願い申し候。
なおかつ、丈八は許しを得ないで一旦家出いたし候段、不届きにつき責めただし候処、申し立てるべき理由これ無き旨申し候間、住居のことは、親類・組合・村役人共の願いの通り指し免じ候様仕るべきや、この段伺い奉り候。
以 上。
文政4年巳年2月
高木作左衛門
間 宮 筑 前 守 殿
御 附 紙 御 印
書面の丈八は、家出致し候段不埒に付、七日間の手鎖を申し付ける。
住居については、親類・組合・村役人よりの願いを差し免じ候旨申し渡される。
但し、手鎖は日数相立ち候はば差し免され以来は慎むべき旨申し渡され候。