どんくタイトル
3-3牛深市の町名
 町名の場合二つが必ず対語になり、古代の郷名(天草、志記、恵家、波太、高屋)の境界と察しられる。
 上平、宮野河内の間、「づくし田凶浦」の付近を境田にし「産島」を含めて対岸の「うし」(此処も潮か)より北の方は「高屋」と言った事が断定できる。此処より南の方は、地名が対抗している。「上平、下平」は天草の乱以前は「ひらうら村」で、深海村の中心は向かえ付近である。

 【 対 語 】になっている町村名

上 平→←下 平下平は天草の乱まで「ひらうら村」で一ケ村。
浅海村→←深海村江戸初期まで別々の村であり、村境という意味の「方示の浦」(ホウシノウラ)(小字は殿越付近の海)の地名が残り、山の浦の対岸「椎の木崎」には「荒崎」
(村外れと言う意味)と言う地名も残っている。
深海の地名は古代のころは対岸の古墳付近から発祥したもので海も深い。
小字に「古場」とあるは近世初期までの焼き畑農業の跡地の事である。