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1-14 深海の神社と寺(その4)
1-14 深海の神社と寺(その4)
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深海の神社と寺(その4)
深海に寺があったと伝えられるものは、すべてが天草の乱以前のものである。
天正17年(1589年)加藤清正・小西行長の連合軍は天草氏を破り、行長が天草の領主となるや、寺院の打ち壊しを行った。行長は熱心なキリスト信者であるのでキリシタン布教のためである。
乱以前の寺社で地名に残り寺跡を伝えるものとして、
下平
寺ん迫
菅
屋敷ん窪
焼き打ちに遇い、難を鹿児島県出水郡高尾野に逃れたと伝えられる。(川上清氏所有の畑である)
ここより1500mの柱岳三角池に60Kの金の十字架が埋められたと言う伝説あり。
深海
堂ん山
現在の十五社宮のある所(どんやま)は、地蔵堂と推定されるが、やはり小西行長の寺社打ち壊しに因るものであろう。
浅海
寺ん上
地名だけが残っている。此処も同じことが考えられる。
浅海の「江家ん迫(えげんさこ)」である。
お宮
下平
権現どん
地名だけを残し今は墓地化している。
深海
宮ん前
伝説の神社で川内市の方に持ち去られたと伝えられている。丘を西へ越えてすぐ向山古墳(星の浦)である。
塞の神の迫
(しゃんかみのさこ)
漁協の上で、人々の無病息災を願う道
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