今日は少しまじめなお話です。
本渡方面から国道324号線を東進すると、下津浦の旧道に入る箇所が2ヶ所ありますが、
手前のカーブしたところから右折すると地元で六部様と呼ばれているお堂と並んで手前に『寄り人様』の供養塔があります。
↓ ↓ 写真右側が寄り人様の供養塔
昔、大きな津波があって海岸に漂着した死体を『寄り人様』と呼んで葬られてるんだって!!という話は聞いたことがありました。有明町一帯各地区に供養塔が建てられているようですが・・・。
↓ ↓ ちょっと離れて見るとこんな感じです
実はその時に起きた大津波が1792年5月21日(寛政4年4月)の『島原大変 肥後迷惑』だったことを知り、
“そうだったのかあ∑( ̄ロ ̄|||)マジ!?”と驚きました。
『島原大変 肥後迷惑』といえば先日、下津浦子ども会の旅行で訪れた雲仙災害記念館(がまだすドーム)の見学の中で管理人含め多くの下津浦っ子も学んできたばかり。
機会があれば子どもたちに話して聞かせようと思います。
そのためにはもうちょっと勉強が必要ですが(^_^;)