ここでは、地域内に数多くある史跡や古築物などの地域資源を

「下津浦のお宝」として紹介します。

 

彼岸花(ロード)

彼岸花 白2017 2

 下津浦の地域内、特に下津浦川(2級河川)の河川堤防沿いには、地区住民が永年にわたり植生した彼岸花が、9月下旬から10月上旬頃咲き誇ります。

 約1kmある彼岸花ロードでは、赤だけでなく白・黄・オレンジ等バラエティに富んだカラーの彼岸花が見ることができます。

 

 

 

デコポン

デコポン
果樹(特にみかん類)の生産が盛んな下津浦では、柑橘類の作付け面積(13ha)のうち 約77%(10ha)がデコポンであり、年間約140tを出荷しています。(H19)

石投げ地蔵

 

石投げ地蔵.JPG

下津浦の神田平という、旧大浦本渡間の道路脇に石の仏様が1基建っている。そこの仏様を石投げ地蔵という。その地蔵様に丸い印がついている。そこを通るとき、その丸い石をねらって石を投げつけ、その穴に当たると足の疲れがとれるといわれ、昔、そこを通る人たちは石投げ地蔵に石を投げつけ、そこで休み、旅を続けたという。

 

牧の神

 

牧の神.JPG

 牧の神は宮本部落にある神様で、旧暦の3月16日が祭日である。
 この牧の神様が、村の人々に、「自分も老岳の高さになりたい」といわれたそうである。3月16日には農家の人々は牛を連れてお参りにいく。そして、その年の豊作を祈念すると共に、農業の大切な労力となる牛が病気にならず、元気に働けるようにお祈りをする。しかしその時、海の塩水をくんで持っていくと共に、かきがらのついている石を自分の家の家族数だけ拾っていって、牧の神にお供えしてお参りするしきたりがあり、今までにお供えした石の数は相当な量になるという。老岳様のご神体はかきがらのついた大きな石であるところから、牧の神様の願いを聞いた部落民のせめてもの真心であろうか。

 

 

下津浦氏の墓

下津浦氏の墓.JPG

 

平地区の旧小学校前、上津浦側の丘に「元禄13年2月吉日造建下津浦吉兵衛」の記名碑がある。下津浦氏は天草・島原の乱の祭、上津浦氏と共に四郎方の鉄砲頭にその名前が見える。

 

 

諏訪神社

諏訪神社.JPG

 

附属社 

天照皇大神宮(皇大神)

→農耕の神(お伊勢様)豊受大神宮(豊受大神)
  加藤神社(清正公)

例祭 江戸時代 元禄4年旧暦 7月28日より
    (明治末まで)
      その後 暦10月16日に

創立年月日不詳なれども社伝によれば鎌倉時代佐々木四郎衛門源高綱、諸国を巡廻中、信濃の国諏訪宮の御分霊を戴き来りて発祀勧請したと伝える。寛文2年8月16日、佐々木吉兵衛尉行光が奉仕の時、村社として神幸祭を創始すると神社記にある。その後代々佐々木氏が神事を行っていた。

老岳様・竜王様

竜王様  老岳様.JPG


老岳にある老岳神社の祭神は猿田彦命であるが、ご神体はカキガラの付着した大きな自然石で、中世の天草の豪族上津浦氏の時代に、須子の海岸(神の岬)から飛来したという伝えが残っている。航海守護の神様ともいわれ遠方からも漁師が参詣していた時期もあったらしい。その分祀

 

【竜王宮祭り】
下津浦には竜王宮があり旧暦10月4日を例祭日とする。竜王宮は、字権六の干拓地造成の折りにその完成を祈願して「土取山」に勧請され、完成後は「釜」の現在地に移して土手の守り神様とし、朔日と十五日には神花を供えて堤防・水門の安全を祈願していたという。