今日は冷た~い雨になりました。
屋外はいつ雪に変わってもおかしくないくらい空気が冷たいのです。
もしかして今日は大寒?と思い暦を調べましたが、大寒は1月21日でした。ポリポリ (・・*)ゞ
寒さに弱い管理人ですから、これ以上の冷え込みは願い下げです。
さてさて、今日の話題は。。。
コチラ↓↓↓旧有明町時代に編集・発行された『有明町史』からです。
存在自体は知っていましたが、こんなに分厚い本、とても読む気になれなくて。。。。。
しかし、当然のように下津浦についても歴史的な記録・記載が多々あります。
中にはきちんと目を通している人もいらっしゃって、こんな記載があるよと、ご親切に
情報提供してくださいましたので、しっかりご紹介したいと思います。<(_ _*)> アリガトォ
時代は安土桃山時代
豊臣秀吉の命をうけた小西行長と加藤清正が、志岐麟泉と対峙した天正の合戦(天正17年)
その際に、天草諸豪と一緒に志岐麟泉の援軍として赴いた上津浦氏に属する「下津浦六兵衛影春」
という武将がいらっしゃったそうです。
そして、その武将影春の血を引く御子孫らしき下津浦性を名乗る方々が、筑後地方に集住されている
らしいとのこと。
また、先年、その方々が故地下津浦を訪れ、遠祖のことを偲んでおられたらしいのです。(管理人解釈)
ぉお!!(゚ロ゚屮)屮地元にもいらっしゃらない「下津浦」を名前に持つ方々が、
筑後地方に住んでいらっしゃるのであれば、まずは本当に実在されるのか
確認したいですし、連絡とってみたい。
もしかしたら、下津浦に関してもっと詳しい情報をお持ちかも知れないですし。
でも筑後地方って範囲が広すぎ。何か良い方法はないか考えなければ。
もし、ホームページをご覧になってご連絡いただけたら嬉しいんですけどヾ(´ε`*)ゝ エヘヘ
どちらにしても、これを機に何らかの繋がりを築けたららうれしいなぁ。
それにしても、『有明町史』こんな情報が詰まっているとは素晴らしい!!
知ってしまった以上、ほっとく訳には参りません。次なる情報に乞うご期待!!
(写真)下津浦氏の墓として伝えらている碑石