どんくタイトル

1-1 深海 ノスタルジー
 波一つない夕陽に映える深海の湾を、誰が流したのか時期はずれの麦のホダが、一塊満潮の海の面に浮かんでいる。凝っと見ていると動いているのに気付く、もう少しずつ引き潮が密かに始まっているのだ。家路を急ぐゴッテ牛の鈴の音が海面に静けさを奏でる。

  「とォとォ、飯ばのォい」(お父さあん、ご飯ですよう。)
船津方の夕飯は早い、飯を告げる娘の甲高い声と、権現山のねぐらに急ぐカラスの鳴き声が交差する。
まじみいかを求めて漕ぎ出す老漁夫の櫓のきしむ音が哀しい。
 幼児が母を慕うように、乳房を求める嬰児のように、私は故郷を想う。昨日のことさえも思い出すのが困難な今日この頃も、なお、深海の山と海、そして、今は亡き父と母のことも私の脳裏から離れようとしない。そして、幼き友の姉はいつまでも若く美しい。戦場に散った友は雄々しく、凛々しい。

汽車の窓 はるかに北に ふるさとの
    山見え来れば 襟を正すも      啄木

 私も未だ若かった頃、故郷に錦を飾るつもりで六郎次の山に誓いを立て都に出た。 それでもなお、老いて再びこの故郷に晴れ晴れと帰ることが出来るであろうか?、 という危惧の念があった。私の純な決心を見守って頂きたいと、このお山に祈り深々と頭を下げた。六郎次山は広い空にそびえ緑の海に面して神秘的なたたずまいである。
私は物心付く頃から心密かに信仰的な気持ちでこの山を見ていたのだ。この地に住む人々は、素朴である。文化を運ぶ道に遠いところに住んでいたからだ。
 江戸時代、天草の各所に百姓一揆が起きたが、この村は平穏であった。誰もこれに加担した者はなかった。天草史に明治十年官軍の徴用に抗したとあるが、根も葉もない誤りである。
 お上(おかみ)の下知は至上命令として服し、甘薯を食しつづれを纏いながらも年貢米の滞納もなく、学校設備も郡下では最上位であった。
 現在で言う税金も、近所の人が、不思議がる程良く納まった。無知で人情に厚く、また、財を遺すでもなく、名を残すでもない。
 人は去り家は変わり残るものとて無いこの村に何が残ったであろうか? 私は、深海の風土が産んだ私の想い出の人達のことを、次の頁で楽しく語らして頂こう。
 私の姿もかく斯くありたいものだと、願いつつ・・・・・。