こんな、高札が庄屋の家の前に立てられた。 この期の事であった。 ある青年が、無実を訴えられ、富岡へ引かれる日が「11月の最初の丑の日」、つまり「山の神」祭りの朝であった。村人は親孝行の青年を惜しみ、せめて「小豆飯」でもとの心くばりから、朝から祭りをして青年を送り出すことになった。 しかし、庄屋、年寄りの赦免願いも空しく、彼は帰らなかった。 深海の「朝祭り」として明治まで伝えられた「山の神祭り」は、隣村からも御馳走の無い祭りとして言いはやされる様になった。 深海の少女たちは、お返しにこんな唄を歌い出した。 |