どんくタイトル
3-9山ん神祭り
山ん神祭り
 こんな、高札が庄屋の家の前に立てられた。
 この期の事であった。
 ある青年が、無実を訴えられ、富岡へ引かれる日が「11月の最初の丑の日」、つまり「山の神」祭りの朝であった。村人は親孝行の青年を惜しみ、せめて「小豆飯」でもとの心くばりから、朝から祭りをして青年を送り出すことになった。
 しかし、庄屋、年寄りの赦免願いも空しく、彼は帰らなかった。
 深海の「朝祭り」として明治まで伝えられた「山の神祭り」は、隣村からも御馳走の無い祭りとして言いはやされる様になった。
 深海の少女たちは、お返しにこんな唄を歌い出した。
 宮ん河内ゃ ごごーごー (みやんごちゃぁ ごごーごごー)
 四十八ごごー(しじゅうやごご)
 肥取りかるわんごごはない(こいどりかるわんごごはない)
「ごごー」は、今で言うと「令嬢」を意味し、このテマリ唄は江戸末期まで唄われ、「朝祭り」は昭和の頃まで続いた。