寒い寒いと思っていたら、春らしくなりましたね☆

桜が待ち遠しい

どうも、天の蔵@しまさきです。

 

7日に「初田おこし」に行ってきました!

 

「初田おこし」とは今年初めて田んぼを耕す作業です。

田んぼも初体験

田舎の子なのですが、なかなか体験しないですよね。

 

栖本に借りてる田んぼ

3反(30アール)あるそうです ふんふん←イメージつかず

しかし、結構広い~

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機械を出してもらって耕運機で耕すのです

トラクターに感動!!!(笑)

いつもいつもありがとうございます!!!

 

周りの草刈もして、溝も掃除して

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機械が入れない端っこだけスコップやクワで耕す

へっぴり腰。。。。。

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ちょっと動いただけで「あいたた~」ってなる

修行が足りんばい

 

「農家の嫁にいけるように!!」と励まされたので

「(嫁ぎ先の)守備範囲を広げます!!」←しかし5分で休憩

 

そして、そして

 

トラクター初乗車ーーーー!!!!

車の免許も持ってないのに(笑)

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楽しかった☆

車の免許もすぐ取れそうです、コツをつかみました!(ほんとかしら)

 

耕した後ってすぐ鳥(水鳥とかカラス)がやってくるのです。

不思議に思ってたら「田んぼのなかの虫を狙ってる」とのこと。

さすが鳥も頭いいなー。耕したらミミズとか出てくるもん。

久しぶりみたミミズ^^

 

ちょっと寒かったけど、お昼もみんなでお弁当食べて、

おやつも食べてピクニック感覚でした。

 

また何度か耕して、いよいよ「田植え」です。

それも楽しみー☆

 

 

 

 

 

 

 

ちょっと報告が遅くなりましたが、、

天草体験をお知らせです。

 

デコポン?かな?

天の蔵をいつも応援してくださる、農園の方に声をかけていただき、みかんを取りにいってきましたー。

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お忙しいみたいで、あまりキレイにできなかったみかんを

収穫できなく、まだまだたくさんあるということで

盗りに、、ではなく採りに行ってきました^^

 

みんなさすが慣れてる、シャカシャカの上着(わかります?)に長靴に軍手。

私も長靴に軍手です←気合十分

 

なかなかできない経験

みんなできゃっきゃ言いながら収穫です

こりゃ、家族連れなんか楽しかろうなー

 

しかし、気づけば種がたくさんついてた、、、、、(天草では「バカ」と呼ばれてる、なぜだろう)

 

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「モテモテやな~!」の言葉に

バカにだけはモテますもんね~モテてもしょうがなかばってん」

 

・・・・天草弁に戻りつつある私。

 

たくさん収穫できました☆

あまり長時間すると楽しい!より疲れた!になってくるので

この辺で。

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みんなで採ると楽しいですね♪

 

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鳥が食べてた!!!

贅沢もの~全部食べんか!

 

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軽トラに初めて乗りました~

楽しかった!!!

経験のない方は是非乗ったほうがいいです!

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こちらは「温故知新」の「新」

スタッフのしまさきが気まぐれに日記を書きます。

よろしくお願いします。

 

まずは軽く自己紹介から。

 

天草生まれの天草育ち。でありますが、

なんと10年以上福岡で生活していたので、

浦島太郎もいいところです。TUTAYAできてるしー!!!

マックもミスドも私が小さいころはなかった。

衝撃です。

 

あーあ、今の子は幸せね。

でも廃校多すぎ。。。。悲しい。

 

まさか天草へ戻るとは自分でも思ってなかったのですが、

不思議なタイミングで決断してしまいました。

天草きてから、たくさんの発見があります。

意外と(失礼)楽しい☆

 

子供のころではわからなかったいいところ、たくさんご紹介して行きたいと思います!

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天草の「温故知新」をテーマに天草に関連する歴史的人物と現在天草にいらっしゃる方々を紹介していきます。

 

第一回は「塩田平治」(全4回)

 

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更生意気天衝湧

青々旗幟破雲跳

休道敗戦艱玉鍼

昨附江流陽光新

 

昭和20年8月15日、日本は敗れた。

報に接した塩田は、その所感をこううたった。

道(ゆ)うことを休(や)めよ敗戦艱玉(かんぎょく)の鍼(しん)

ー敗れたことの屈辱や失望ではない。更生の意気天を衝(つ)いて湧(わ)くー

のである。国士のおもかげがほうふつとする。

塩田は明治9年、宮地村(現新和町)に生まれた。

同29年5高卒、続いて岡山専医に学び、その後東京で苦学、政治、経済、哲学などを修めている。

同36年から4年間は郷里宮地で私塾少年同志会(通称塩田塾)を開き、80有余人の師弟を導いた。

門人の中には天草政友会の重鎮元田重雄、地教委連絡協議会長の深水靖人らがある。

常に天下国家を論じて国士の風格があり、国事に奔走して家庭をほったらかしにすることもしばしば。

盛んに階級打破、日支親善、大陸経営などを唱えて社会運動にも投じ、

特高からつけ回されたこともあったという。

 

つづく

 

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