天草の「温故知新」をテーマに天草に関連する歴史的人物と現在天草にいらっしゃる方々を紹介していきます。

 

第一回は「塩田平治」(全4回)

 

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更生意気天衝湧

青々旗幟破雲跳

休道敗戦艱玉鍼

昨附江流陽光新

 

昭和20年8月15日、日本は敗れた。

報に接した塩田は、その所感をこううたった。

道(ゆ)うことを休(や)めよ敗戦艱玉(かんぎょく)の鍼(しん)

ー敗れたことの屈辱や失望ではない。更生の意気天を衝(つ)いて湧(わ)くー

のである。国士のおもかげがほうふつとする。

塩田は明治9年、宮地村(現新和町)に生まれた。

同29年5高卒、続いて岡山専医に学び、その後東京で苦学、政治、経済、哲学などを修めている。

同36年から4年間は郷里宮地で私塾少年同志会(通称塩田塾)を開き、80有余人の師弟を導いた。

門人の中には天草政友会の重鎮元田重雄、地教委連絡協議会長の深水靖人らがある。

常に天下国家を論じて国士の風格があり、国事に奔走して家庭をほったらかしにすることもしばしば。

盛んに階級打破、日支親善、大陸経営などを唱えて社会運動にも投じ、

特高からつけ回されたこともあったという。

 

つづく

 

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