が咲きましたね

やっと春到来です^^

あたたかい日大歓迎♪

 

事務所からの風景です☆天気がいいと島原も見えます。

事務所からの風景 

 

さて、最近は天の蔵が4/7市民ステーションとして

オープンするので、準備にいそいそしてます。

 

拠点としてる事務所をみんなで使える場所にしたいと思って作ってきました。

 

みんなでつくるリサイクル(みんくる)コーナー☆

子供服とかたくさん集まりました!ご寄付いただいた方々ありがとうございます!

 

食器類も陶器市ができるくらい(笑)

 

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談話室

 

お茶やコーヒーなどご用意してます。

お昼には軽食も作る予定です!がんばります!

【予定】

カレー・かき揚げ・サラダ・みかんシロップ漬けなどなど

 

キッズコーナーも作成中。かわいくできるといいなー。

 

たくさんの食材も寄付いただきました☆ありがとうございます!!

 

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3階ホール

 

今は健康器具がたくさんおいてあります。

当日は10時から開所式を行うのでレイアウトも変えますよー。いそいそ。バタバタ。

 

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せっかくなので、たくさん来ていただきたいです☆

お時間がある方は見るだけでも、お茶だけでも気軽に寄っていってください。

 

 

※てんのくら市民ステーションは寄付により運営しております。

 館内での物品販売は一切行っておりません。

 

 

 

 

大陸雄飛すること前後三回。

得意の文筆をもって無銭旅行をやってのけた。

大正十三年最後の「漫遊」を試みたときのこと。

税関の役人からトランクの検問を受けたが、塩田は

「これだけはあけるわけにはいかん」と拒んだ。

怪しんだ役人がひったくってあけてみると中身はよごれフンドシと大筆一本。

唖然とする役人をしりめに塩田はゆうゆう船に乗り込んだという逸話もある。

書は達人の域に達し、特に旧天草公会堂の表札揮毫(きごう)は

多くの人々の嘆賞のマトになったという。

今も各地にその墨跡が残っている。

中国革命の父孫文とも親交を結び、いよいよ大陸経営理想に燃えた。

しかしいかんせん塩田の思想はあまりにも高く、世間一般からは理解されずに終わった。

昭和の初め普選運動が起こるや、党派を越えて政友会の床次竹二郎、

民政党の安達謙蔵両長老のために弁士となり、全国遊説の途にのぼって家庭をかえりみなかった。

政治というより国事が好きだった。常に大きな理想を追い、目の前の小さなしあわせを

求めようとはしなかった。

戦時中は本渡市浄南で「一宇道場」を開き、青少年の指導に当たった。

自分の理想をあとに続く若者に残そうとしたのだった。

「一宇」の二文字に塩田の面目躍如たるものがある。

かつて米飛行機が本渡市錦島に墜落したとき、早速駆けつけて飛行士を弔い

  敵味方忘れて花の浄土かな

の一句を手向けた。昭和二十七年同道場で死去。七十六歳。

翌年には塩田門下生が相はかって新和町小宮地に立派な記念碑が立てられた。

塩田もまた明治を形成した群像の中の一人であった。

 

おわり

 

塩田平治(のお孫さん)

 

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先日収穫した春の獲物を食べました☆

 

「つわ」はきんぴら

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みつば、つくし、よもぎは天ぷら

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レシピは私の知るところではありませんので、、、、あしからず。

 

とりあえずおいしかったです!!!

 

 

そして一昨日、事件が起きました。

 

夕方、みんなで事務所を出ようとしたその時、

 

みのださんが、

 

「あれ?僕の車の鍵は??」

 

全員

「知りませんよ!」

 

みのださん

「3階の事務所かな。誰が取りにいくの?」

 

「自分でしょ!!」

 

と言うわけで、みのださんは3階の事務所へ

 

「みんな待っててよ」

 

「子供か!!!」私の心の中)

 

ところが、どうやら鍵がない。。。。

 

みんなで捜索することに

 

5分、10分、、、

 

見つからない。

なぜだ。

 

日も暮れてきて、事情聴取が始まる。

 

「いつも置いてる入り口のところには置いてないんですね?」

 

「そうなんだよ、今日は3階にもってきてしまったなーと思ってたんだ」

 

「今日は事務所から出てないですよね」

 

「そう、今日は一日、書き仕事してた」

 

「車も鍵がかかってるけど閉じ込めたりしてないですか?」

 

「ちゃんと鍵で閉めるから持って出てるよ。そして車に免許証入ってる」

 

ほかの車でも帰れないではないかー!!!!

 

 

そしてまた捜索。

 

外にも中にもない。

 

はっ!まさか、誰かに盗られたのでは。。。。。

 

いや、ないな。盗られるような素敵な車でも人でもない。←すいません。

 

 

と言ってるうちに「あったー」と3階から声が。

よかったー。ほっとしたとき。

 

 

階段を理事長と一緒におりてくる、みのださん

 

「いやーやっぱりないよー」ニヤニヤ

 

 

「あったんでしょうがー!!!!

もう日が暮れとっとですよ!!

冗談言わずにはよ降りてこんか!」

 

とは言えず。

「もう、ちゃんと同じところに置いててくださいよー」とにこやかに返事した私。

 

「いやーソファのクッションの下にあったんだよー

ポケットから落ちてたんだねー。おもしろかねー」

 

「面白くなかー!!」

 

と思いながら帰路につきました。

 

 

私も無くし物しないように気をつけようと思った一日でした。

 

 

 

春分の日って昼と夜の長さが一緒なんですよね。

って思ってたら「正確に言うと昼が長い」という情報が。

ずっと信じていたのに。でもまったくの間違いじゃないからいいか。

 

あ、どうもしまさきです。

 

春もうららになってきましたね。

うらら~うらら~

うららってなんでしょうね。

。。。すいません。

 

今日はあまりにもいい天気だったのでみんなで散歩に行きました。

ついでに春の味覚も収穫に。

私ってやっぱり田舎の子なのねと実感。

懐かしいです☆

 

育ちすぎた小松菜

遠くの軽トラがいいでしょ。

カリフラワーもやわらかくておいしい^^

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かわいい大根とにんじん☆にんじんなんだかセクシー

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つくしがうじゃうじゃ

たんぼにれんげ草

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お花たち←名前省略

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たくさん景色も撮ったのでフォトを見てください。

 

聞こえるのは鳥の声と風の音

とってもゆっくりした時間が流れます。

ああ、のどかってこういうことを言うのだなーと実感しました。

癒されるなー。

きっとこれはお金で買えない価値なのだと思います。

(買えるものはマスターカードで、、、それはCMか)

 

心が疲れた皆様、是非いらっしゃいませ^^

 

あ、そうそう。今日の成果。大漁☆

これ全部食べれるんですから!言っときますけど雑草ではないです。

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明治四十四年四月三日「天草新聞社」を創設、その社長となった。

もちろん天草の郷土新聞の草分け。これに刺激されて大正十二年ごろから

「みくに」「不知火新聞」「天草タイムス」が発刊され、さらにその後「報国新聞」「海の天草」

「天草体育新聞」「苓州時報」「天草民友」などが消長した。

現在の「天草民報」は昭和二十一年、「天草新聞」は同二十三年の発刊。

明治四十二年天草新聞社発行の天草紳士録によると創立当時のメンバーは次のようになっている。

社長 塩田平治(宮地)理事 中野猛雄(碇石)会計 中村猶市(本戸)

編集 村上一二(熊本)元田重雄(宮地)営業 中村貞彦(本戸)田下勇作(宮地)

印刷 世良寅次郎(長崎)島谷周助(長崎)横山繁光(本渡)徳田作市(長崎)矢田新吉(牛深)山下由吉(櫖宇土)

天草人にとっては忘れ得ないなつかしい人々が並んでいる。

塩田は明治四十三年には社長を中野猛雄に譲り、自らは取締役となった。

新聞の方は大正十年頃から組合運営となり、まもなく五百号ぐらいで自然消滅した。

この間、天草裁縫女学校 修身科、大多尾小樫ノ浦分教場、大牟田市女学校などで教鞭をとったこともあった。

また夫人の父、岩崎玄甫という人が広瀬淡窓塾出の漢方医であるところから、塩田の家でも家伝の

「清腹散」や「大正湯」を販売した。

 

つづく

 

 

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