1月7日の七日正月は、晴天に恵まれ、御領でも各分団(地区)で鬼火焼きが行われました。分団で実施される時間や接待も違いましたが、それぞれの分団で子どもたちや地域の人たちが集まり、新年のご挨拶をしながら鏡餅を鬼火で焼き、無病息災を祈う姿が見られました。

 

 

《鬼火焼きとは・・・》

 

 「鬼火焼き」とは、一般的に七日正月(小正月))の行事で、正月の松飾りなどを家々から持ち寄り、一箇所に積み上げて燃やすことです。

 鬼火焼きの火にあたったり、残り火で鏡餅を焼いて食べれば、その1年間健康などの言い伝えもあり、無病息災(むびょうそくさい)五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈る民間伝承行事です。熊本では「どんどや」と呼ぶことが多いようですが、全国各地の呼称には「とんど焼き」「とんど」「どんと」「さいと焼き」「さぎちょう」「おんべ」「おんべ焼き」など多数あるようです。

 

 

《他の地域とはちょっと事情が違う天草の鬼火焼き&しめ縄の飾る時期》

 

 鬼火焼きで正月の飾り物を燃やすのは他の地域と同じです。他と違う風習は、昨年1年間お世話になった玄関などのしめ縄などを燃やすということ。天草以外の殆どの地域では、正月に新しいしめ縄を飾り、七日正月の鬼火焼きで燃やしてしまいます。そして、それ以降は、次の正月までしめ縄は飾られていないのです。天草のように1年間しめ縄が飾られているのは珍しい風習なのです。

 この1年間飾られている風習は、よく天草島原の乱によるキリシタン弾圧により、「うちはキリシタンではありません」ということを示すためにしめ縄飾りが1年間飾られているというお話も聞きますが、実は、しめ縄は、家を建てるときの地鎮祭や安全祈願祭などで行う神事の際に、四方に縄を巻いて作る結界を簡略化したものと言われています。

 ということで、しめ縄は、家の中に悪いものが入ってこないように飾られるもので、しめ縄が1年間家の中を守ってくれているということになるのです。天草にはこの古い風習が今も残っているんですね~。・・・昔からの風習が残る天草・・・いいですね~!

 

《各地区の鬼火焼きのようす》

 

1分団.jpg

1分団(小串神社)のようす。

神社の鏡餅を焼いているところです。

1分団2.jpg 

正月飾りの門松などを各家々から持ち込み焼かれました。

1分団3.jpg 

堤田区長さんから焼きたての鏡餅分けていただき、ご利益も頂きました!美味しかったです。

2分団.jpg 

 2分団のようす。園児も園の先生と一緒に餅を焼いていました。

3分団.jpg 

3分団のようす(宮崎公園)。

3分団2.jpg 

この後、七日正月の祝宴が行われました。お肉が美味しそうでした!

4分団2.jpg 

4分団のようす(浜田のきのどん様付近)。

4分団.jpg 

園児たちも餅を焼くタイミングを待っているようです!

5分団4.jpg 

5分団のようす(若宮大橋付近・国道324号線沿い)。勢い良く燃えていました!

5分団3.jpg 

この後、門松やしめ縄も勢い良く燃えました。

5分団2.jpg 

松本区長さんのご発声で乾杯!背景は、無人島「亀島」です!

5分団6.jpg 

接待のようす。5分団恒例のざんざいが振舞われていました。

5分団.jpg 

手作りの焼酎漬け、美味しかったですよ!

 

5分団5.jpg 

ぜんざい、私もいただきましたが、とても美味しかったです!身体が温まりました。

キーワード: 鬼火焼き
コメント(1件)
1   しめ縄:そうかなあ?
神域と家庭とごっちゃになっていないでしょうか。正月のしめ縄は、本来は、新年に訪れる年神を迎えるものですから、新年の直前に飾り、正月が終わるまで飾るものだと聞いてきました。松の内は、元日から七日まで、昔は十五日まででしたから、地域によってはずす日が違うようです。
伊勢地方は、天草と同じで、古くから一年中しめ縄を飾っています。
それはそれとして、みなさん楽しそうでいいですね。良い年でありますように!
ちょっと立ち寄りました 2011年01月07日 21時10分45秒     

 

■コメントを書く
タイトル
本文 *必須
お名前 *必須
メールアドレス
ホームページアドレス
削除パスワード*必須
コメントを削除する際に必要になります。
認証キー *必須 下の画像に表示されている数字をご記入下さい。
(画像は毎回変わります)