天草文化交流館の建物の歴史は古く、昭和10年に天草教育会館として建設されたものです。当時は、教育研究活動や天草出身の教育者の育成を図る目的で建てられ、長きにわたり天草の教育振興を推進する拠点施設としてその役割を果たしてきました。築87年ともなりますと、その建物も少しづつ変化してきており、本日は、昭和10年に建設された当時の写真、平成18年に天草市に移管され改修工事をする前の写真、現在の写真(本日撮影)の3枚を載せてみました。昭和10年の写真は、昭和初期、おそらく近くの民家は、まだ藁ぶき屋根の家も多かったのではないかと思います。その当時にこのような立派な建物が建てられたことは、当時の天草の人たちのとって、すごい存在だったのではないかと想像されます。平成18年の写真はカラーになっていますが、建設当時の面影はありますが、何か、古ぼけて昭和10年当初のような輝きや存在感が薄れている感じがします。屋根の素材が、洋風のものから、瓦に葺き替えされているところや、壁の色も窓枠の色も少し変わったような感じがします。天草市に建物が移管されたのちに、元の形に復元すべく改修工事が行われました。しかし、消防法や建築基準法などのしがらみの中で、外見だけで説明しますと、そのままの構造では2階部分の支えることが難しいとのことで、外壁にバットレスとと言われる、いわゆる建物を支える壁が北側に2枚、南側に3枚取り付けられています。多くの方は、現在の形が当時の建物だと思ておられると思いますが、1枚目、2枚目には存在しない斜めの壁が現在の交流館にはついています。それから、屋根は、瓦葺から当時の洋風の屋根構造に復元されています。写真をよく見て違いを探してみてください。面白いですよ。(n_i)
●昭和10年建設された当時の天草教育会館
●平成18年天草市に移管され改修前の天草教育会館(現天草文化交流館)
●令和4年現在の天草文化交流館
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