12月1日から2日にかけてのラジオ深夜便「にっぽんの歌 こころの歌」中でも津村謙の「上海帰りのリル」を懐かしく聞かせていただきました。私は昭和23年に小学校に就職、当時は「新制中学」が出来たばかりで小学校の校舎の一部を中学が共用していました。津村謙の「上海帰りのリル」が流行った26年頃の宴会では中学の中にこの曲を十八番にしている先生がいて、あまり上手くはありませんでしたが必ず歌っていました。そして、「自分の子供にはリルと付けるんだ」とそこまで嵩じていました。
翌年、その先生に女の子が誕生しました。先生は、「リル」とは付けずに「るり」とひっくり返し、カタカナをひらがなにされたのでした。その後も宴会の度に歌っていました。そして、20年が過ぎ「るりさん」が結婚することになりました。その相手がなんと私の従弟だったのです。そして、私は月下氷人の大役を仰せつかり二人の結婚式を挙げたのでした。
今は、「るりさん」のご両親も亡くなり、二人は東京に住まいやがて従弟は定年を迎えようとしています。長男はすでに結婚して独立。あと二人の男の子は大学生です。
深夜便が50年前のことを懐かしく思い出させてくれました。当人はどんなに思っているか聞いたことはありませんが親戚はみんな名前の由来を知っています。深夜便の川野アナウンサー本当にありがとうございました。また、懐かしい歌を聞かせてください。
(ラジオ深夜便:平成16年12月放送)
アロエの花
先日の「アロエ」の話の中で、キャスターが見たことがないとおっしゃっていましたので写真をお送りいたします。
私の住まいは熊本県の天草島・最南端牛深市です。「牛深ハイヤ」や「NHKの大河ドラマ武蔵」の「巌流島の決闘」のロケが行われたところです。家の前にはこのような「キダチアロエ」の群生があちこちに見られます。温かい海岸です。
(元気ラジオ:平成17年1月14日投稿)
牛深ハイヤ祭り
私たちの住む「牛深市」は九州・熊本県の西南に位置する、「天草島」の最南端にあり熊本県一の漁港を持つ港町です。
毎年、4月の第三金・土・日の3日間「牛深ハイヤ祭り」が行われます。
今年も4月15・16・17日の3日間好天に恵まれて賑やかに開幕しました。
15日は、「輝けハイヤの競演」と題して夜7時から10の団体によるハイヤ踊りの競演がありました。
16日には、もろもろの行事のあと行われます、夜の道中踊り「ハイヤ総踊り」が繰り広げられます。
今年は、お天気が良かったせいで、昨年の50団体から12団体も増えて62団体の申し込みがありました。
その中の11団体は牛深市以外からの参加で、また、その中の6団体は県外からの参加です。遠くは、大阪・宇部・平戸・鹿児島と牛深市外から750人の参加を頂きました。また、当日の飛び入りも歓迎し特別に「飛び入り丸」の団体グループを作り誰でも踊りの仲間に入れるようにしてあります。これにも100名のご参加がありました。
17日には、午後1時から、昼の道中「牛深ハイヤ総踊り」が繰り広げられ、62の団体がハイヤ通りを練り歩き、16の賞を目指します。今年のハイヤ大賞は「福本病院」の皆さんでした。
牛深で生まれた「牛深ハイヤ」は漁師さんたちによって全国に広がり、各地で変化していろいろな唄や踊りとなって発展しています。その、全国に散ったハイヤが「元ハイヤ」(もとハイヤ)のある故郷へ里帰りするのがこの「牛深ハイヤ祭り」です。昨年の4万人から今年は7万人のお客さんにおいでいただきました。
来年の3月には、市町合併により2市8町が合併して新生「天草市」が誕生します。牛深市主催の最後の「牛深ハイヤ祭り」でしたが、祭りそのものは残りますのでまた、来年も全国から沢山の「祭り好き」「踊り好き」の皆さん牛深へ来てください。 地球ラジオ投稿文(平成17年4月21日)
「十五夜どんのわらくれのい」
9月18日は、中秋の名月でした。私たちの地域には昔から名月の下で「子ども相撲」が行われてきました。今年も各町内でおこなわれました。今は、稲わらが手に入りにくくて主催者も困っています。昔は、学校が終わると子どたちはリヤカーを引いて農家を回り「十五夜どんのわらくれのい」(十五夜の土俵に使うわらをください)と大きなかけ声でわらを集めたものでした。ある町内ではわらの調達ができずに体育館でマットを敷いて土俵を作っていました。今年は、お天気が良くて真ん丸いお月様が見えました。(平成17年9月21日)地球ラジオに投稿。