前のページに戻る
牛深東中学校校歌作成
深海中学校と久玉中学校が統合して「牛深東中学校」が誕生することになり
校歌の作詞を依頼された。早速資料の収集・歌の構成等を考えて三番まで作ってみた。
でも、学校と共に一生涯残る校歌。これで良いのかと不安になり
そこで思いついたのが誰かに見てもらうことだった。
幸い、同期生の八木君(国語)を思い出した。ついでに作曲も同期生の久保田君、
校歌額の文字も濱君にそして額の製作を道園君とそれぞれ特技を持つ同期生に依頼した。
いろいろあったが、素適な歌詞としゃれたメロディそして素晴しい校歌額も出来上がった。
~~~~~~~~~~
牛深東中学校校歌
久保田つとむ自筆(これは略譜で本譜は別にある)
二番に変化をもたせた校歌としては、本邦初公開のメロデーである。
そして、校歌のCDが出来上がった。これで私の仕事も一応の完成とする。(H19・1・5)
CDジャケット
濱先生より
そして校歌が出来るまでの裏話を100ページにまとめた。
目次とあとがきだけを載せておこう
NHKテレビ熊本放送への投稿H.17.12.25~放送12.28) 題名 私の「この一年」 「牛深東中学校・校歌の作成」と、教え子からの「喜寿の会」について
|
NHKラジオへの投稿 (H.16.12.10~放送12.16) 題名 上海帰りのリルの思い出 |
12月1日から2日にかけてのラジオ深夜便「にっぽんの歌 こころの歌」中でも津村謙の「上海帰りのリル」を懐かしく聞かせていただきました。私は昭和23年に小学校に就職、当時は「新制中学」が出来たばかりで小学校の校舎の一部を中学が共用していました。津村謙の「上海帰りのリル」が流行った26年頃の宴会では中学の中にこの曲を十八番にしている先生がいて、あまり上手くはありませんでしたが必ず歌っていました。そして、「自分の子供にはリルと付けるんだ」とそこまで嵩じていました。 翌年、その先生に女の子が誕生しました。先生は、「リル」とは付けずに「るり」とひっくり返し、カタカナをひらがなにされたのでした。その後も宴会の度に歌っていました。そして、20年が過ぎ「るりさん」が結婚することになりました。その相手がなんと私の従弟だったのです。そして、私は月下氷人の大役を仰せつかり二人の結婚式を挙げたのでした。 今は、「るりさん」のご両親も亡くなり、二人は東京に住まいやがて従弟は定年を迎えようとしています。長男はすでに結婚して独立。あと二人の男の子は大学生です。 深夜便が50年前のことを懐かしく思い出させてくれました。当人はどんなに思っているか聞いたことはありませんが親戚はみんな名前の由来を知っています。深夜便の川野アナウンサー本当にありがとうございました。また、懐かしい歌を聞かせてください。
|
| 題名 「十五夜どんのわらくれのい」 |