2018年2月10日、90歳で死去された作家の石牟礼道子さんは、天草市河浦町宮野河内の生まれです。
生後まもなく水俣町(現 水俣市)に移住、水俣病患者に寄り添った『苦海浄土』をはじめ数々の作品を創作されました。天草を源郷とした数多くの作品から平成30年度天草文化賞の特別賞も受賞されています。
石牟礼さんは天草に深い縁を感じておられ、10年前に宮野河内大蓮寺を訪問されました。その当時の記憶を辿るため、大蓮寺へ取材に伺いました。
2008年10月26日、当時の高坂住職によると、お付きの方と車いすで到着されたのは15時すぎ、ちょうど産島八幡宮例祭の日でした。お寺からの勧めもありこの日取りとしましたが、あいにくの雨天から獅子舞と大太鼓は中止となり、お祭りはいつもより早く終わってしまったため、住職撮影のビデオを鑑賞されました。
その後、本堂で栗おこわ、お煮しめ、お刺身を会食され、石牟礼さんが産湯を使ったとされる境内の井戸まで車いすで行かれました。実際の生家はわかりませんでしたが、生誕地である宮野河内を訪れ、産湯を使った井戸を見て感激して帰られたことが、当時のメモから確認できました。
井戸は今も水を湛え、38年前までは実際の生活に使われていたそうで、背景の竹林と共にいのちを継いできた神々しささえ感じられました。
2014年3月刊行の『花の億土へ』には石牟礼さんの天草への想いが記されています。
「天草というのは、「あま」は「天」という字で、それに草と書く。私のイメージでは、それは天の億土で、人間やいきものが棲みはじめる前に、天というのがまずあって、それは高い空でもあるけれども、そこから億土がうまれると。最初は生命がなかったところに生命が生まれた。十万億土の中の天の億土のようなものがこの宇宙に生まれた、その最初の島である。それで私のご先祖は、草の親のようなものだったろうと思っている。」
石牟礼さんの祈りが希望となってどこまでも広がっているように感じられました。
◎映画『花の億土』の予告映像【参考まで】…ご本人が出演されています
◎天草に関連した石牟礼さん原作の能が熊本でも上演されます【参考まで】
当時の住職高坂さんご夫妻
この写真でテーブルの置いていあるところで会食されました
昔の本堂の裏、今は墓地奥に井戸があります
宮野河内大連寺から空を望み、天草を想う
2018年06月11日更新