先週は、梅雨入りしたかのような雨が降りました。
先週末、下津浦の道路でこんな↓モノを発見しました!
縁起のよさそうなゴールドに見えますが、管理人のげんこつのほどの大きさカエル🐸です。この時期の田舎あるあるですね。カエルは苦手ですが、この後ろ姿はちょっと可愛らしい?と思えます。
先日、『犬の屁 へれば〇〇』意味は『なにかと言えば〇〇』みたいな使い方をすると言いましたが、『ビキんしょべん』て知ってるか?と聞かれ、ビキ=カエル ということを数年前に知ったので、『カエルのおしっこ?』と聞くと、出がらしのお茶のように薄いお茶などに対して『ビキんしょべんのごたる』などという例えに使うそうです。これは下津浦弁なのでしょうか?
今年は梅雨入りが早いと言われていますが、梅雨といえばムカデ(;一_一)
先日、朝から『ムカデが出た!』とドタバタとスプレーを取りに走る長女。
退治して安心して、管理人が次の行動に出ると今度は洗面台にムカデがΣ(゚Д゚)
ムカデはつがい(夫婦)で行動すると言いますが、本当に同じタイミングで出ました!
管理人宅は山の根にあるので、どんなに家の周りに粉を撒いても、ムカデ除けを置いても侵入して来ない年はありません。最初に見るのはたいてい4月。そして最後に見かけるのは11月。下津浦で見かける蛇もだいたい同じ時期です。平和に暮らせるのは1年の三分の一しかないのです。 田舎あるある話ですかね?
ムカデ繋がりで体育大会の話をします。
近年は春が運動会シーズン
昨日、次女の有明中学校でも体育大会を無事に終えました。管理人宅では長女、次女とそれぞれ体育大会を終え、あとは今度の日曜日に長男が小学校最後の運動会を控えています。
コロナ禍で半日のみという開催が3年目でしたでしょうか?
それまでは管理人も豪華ではないけれど、運動会にはお弁当を作るというのが定番でした。
閉校した浦和小学校では校区内の地域の運動会も兼ねていて、管理人は地区振興会としても役割もあり、朝はお弁当を作り上げ、7時には家を出てグラウンドに行く。管理人にとっては浦和小学校の運動会の日はとてもハードな1日でした。長女が6年生の時は土砂降りの中、”今日は運動会ないよね?でも、どうなるかわからない”と思いながら朝の5時半にから揚げを揚げる。お弁当が出来上がった時に運動会の延期決定の連絡( ̄▽ ̄;) 弁当づくりの予行練習をしたわけです。翌週、また同じようなお弁当を作りました。その年は延期になったことで短縮プログラムではなく、全部できてよかったな!と6年生の保護者としては思いました。
一般競技の中に、長縄飛び、ムカデ競争、綱引き、地区対抗リレーがありました。
管理人、長女が1年生の時に地区対抗リレーに出ました。小学校低・中・高学年、中学校1・2・3年、一般29歳以下2名、30歳以上2名(計10名)なのですが、すでに30代半ばに差し掛かっていたのに29歳以下枠で出ました。ほとんど保護者のメンバーもあまり変わらないので、種目もほぼ固定?翌年は長縄飛びに出ましたが、問題は3年目。昨年出た長縄飛びが種目から消えました。
管理人の出る種目がないではないか?その年の体育推進委員の会議の時に、1つ上の先輩が”もうアラ40やけん、うちの奥さんをリレーから卒業させてください”と申し出が。仕方なかなーとなり、管理人にリレーの話しがきた。管理人もも1つしか変わらないので『私もアラ40なので・・・』と言うてみた。
しばらくの沈黙の後に『よかやっか 走れ!』と言われた。若くしてお母さんになり5年も6年も走ってこられた先輩と、たかだか1回しか走ってない管理人。卒業させてもらえるわけがない!さらに、わざわざリレーのために午後3時ごろ出てきてもらうのは気の毒だ、1日居る保護者の中でリレーは走らんばダメじゃない?みたいな流れになりました。
その年から、管理人はリレー走者の中で最年長になってしまい、アンカーに。
一般の第一走者はNちゃん。裸足で走っていたので”裸足の女神”というあだ名をつけました。
第二、第三走者は変動がありましたが、コミセンの魔術師の卵には、当時の担当のMさんが『手っ取り早くコミセンの女ボルトでいいんじゃない?』とアドバイスをもらい、そのままそのあだ名をいただきました。そして、長女が6年生の時に運動会が延期になったことで翌週、コミセンの女ボルトは出場できなくなり、そこで困った管理人に声をかけてくれたのが宮本の女豹。
では、管理人は何か?というと・・・ある年、6チーム中4位でバトンをもらい、4位でゴールした管理人に、片づけをしながら、ある体育推進委員さんが『管理人さん お疲れさん かっこよかったー ジョイナーのごたった』と言ってくださいました。ジョイナーのようなわけはありません。管理人が世界最速のジョイナーならば、牛蒡抜きしてトップになってるはず。ウソでも嬉しくてちょっと調子に乗って、その日から運動会のリレーの中では自らを下津浦のジョイナーと呼んでいました。
自ら世界最速のジョイナーというのはおこがましいので、どちらかといえば深爪ぎみなジョイナーとでも覚えてください。(※ジョイナー 爪 と検索してみてください)
浦和小学校の閉校まであと2年というところで、管理人も40歳になったので、その年でリレーを卒業します!と公言しました。↓山口百恵ちゃんの引退風に、バトンをグラウンドにそっと置きました。
翌年、『管理人さんが走らんなら私も走りません!』と裸足の女神。
さては?管理人がバトンを置いた後に3秒ルールでバトンを拾い上げたのでは!?
その後、下津浦のジョイナーも裸足の女神も浦和小学校の閉校まで固定で走りました。
今度の週末、6年生の競技の中で親子リレーが予定されています。
これも浦和小学校から引き継がれたもの。
管理人、長女のころから”末っ子の時までこのリレーはあるだろうか?”と思ってました。
↓長女の時の浦和小学校の親子リレー
6年生 VS 親(お父さん、お母さん、きょうだいで分担可能)
お母さんが遅すぎたりすると、ちょっと待っていたりする場面なども見られました。
今年、管理人は長男に50メートル走のタイムを聞いて、『お母さんが小6の時が0,2秒早か!』と。同時にスタートしたら勝てるわけがないので、最近よく耳にするマウントを取るというのでしょうか?一言だけ言っておきました。前者、大人が早く来たパターン、子どもが早く来たパターン、競ってきたパターン・・・イメトレだけは何度も何度もしてます。
6年生をもつ宮本の女豹が『どうしよう~もう走りきらんよ』と言うので、まずは一緒にウォーキング。
冒頭のゴールドのカエルはその時に📸撮ったものです。
管理人、当日を迎える前にすでに左膝から尾てい骨が痛いのですが( ̄▽ ̄;)
卒業セレモニーのためのバトンの写真を撮りに行った時に、当時の長女の担任の先生が『浦和の保護者さんは一生懸命走らすけん(リレーが)おもしろかですもんね』と言われたことを思い出しました。
確かに子どものころ、リレーを走るお父さん方の姿は、コーナーを回りきれずに大回り、または右手をぐるぐる回してバランスをとる、コーナーだけブレーキかけたみたいに小幅足、または大きく転倒。そして競り合ってる時などは、歯を食いしばってるからか『シ~ シ~』と口元から音が漏れてくる。
ちょっとお腹の出たお父さん方の一生懸命走る姿はカッコいい!と思ってました。運動会あるあるかな?と思いますが。
管理人も下津浦のジョイナーの時は出ると決まってからは『管理人さんの遅からいた』『追い越されらいた』『つこけらいた』『バトンば落とさいた』『靴ん脱げらいた』なんてことを言われないようにと、こっそり練習したものです。
今度の親子リレーが果たしてどんな感じで受け取るかわかりませんが、おそらく人生でリレーに出るなんてことは今度で最後だと思うので気持ちだけは負けないぞ!と思ってます。