こちらは有明グラウンド傍(旧西中)の権六山(ゴンロクヤマ)に祀られている

『清正公(セイショコ)様』です。

↓ ↓ 

清正公

きっかけは『八天宮』様ですが先日、管理人の姉妹の間で下津浦の各地区に

祀られている神様の話題が出ました。

 

ということで、姉を巻き添えに権六山に登ってみた管理人。

子どものころ、探検で山に登り偶然たどり着いたのがこの『清正公様』だったような気がします。

 

『清正公様』とは名前のごとく、皆さんご存知の熊本城を築城した加藤清正のことですが、

なぜ、この場所に祀られたのかは地域の方に尋ねても不明でした(^_^;)

 

下津浦には権六山の他に下津浦諏訪宮の敷地内にも「清正公様』は祀られていますが

下地区では毎年6月に区役の後にお祭りが行われています。

加藤清正は永禄5年6月24日(1562年)の安土桃山時代~

慶長16年6月24日(1611年)江戸時代前期を生きた武将。

生まれも、亡くなったのもともに6月だから6月にお祭りを行っているのでは?

という説もありました。

 

↓ ↓ 清正公様お堂のすぐ真裏から見た景色・'゚☆。.:*:・'☆'・:*:・'゚:*:・'゚☆

清正公からの景色

この日は天気もよく、雲仙の景色がよく見えましたよ☆          

国道沿いのバス停と、誰が付けたかわかりませんがアベック道路の間ぐらいでしょうか?

 

↓ ↓ ここが皆さんおなじみの通称アベック道路でございます(ё_ё)

アベック道路

管理人世代は当時、水はけが悪かった学校のグラウンドは

雨が降ると外部活は使えませんでしたので、この場所へ行き

トレーニングをしていたので『西中の第二グラウンド』と呼んでいました。

管理人より少し上の世代の方はアベック道路と呼んでいるようですね!(*≧m≦)=

 

権六山以外にもテレビ塔を通り、上津浦の浜のどこかにつながるルートがあります。

浦和小学校に行くには山越えが近く、実際浦和中学校だったころには

山越えが通学路だったようです

 

子どものころのように無性に探検願望がわいた管理人ですが、

イノシシが潜んでいるかと思うとなかなかオススメもできませんし、

行く勇気もありません(o ̄∇ ̄)o

けれど、久しぶりに子どもに返って山に登って清々しい気分でした

 

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