~福連木史跡巡りウォークラリーを開催しました~

 6月10日、自分たちの住む地域の史跡について学び、昔の歴史や文化を地域のみなさんにも知ってもらおうと、今年はじめて「福連木史跡巡りウォークラリー」を企画し開催しました。この日は、梅雨の中休みで晴天に恵まれ、約2時間半のコースを歩き、参加した17名は心地よい汗を流しました。
 参加者からは、口々に「昔の歴史や、史跡のいわれについて再発見することができた。」、「コースや時間も適当で良い運動になった。」などと話されていました。
 
◆火の神様(1箇所目)
 村中地区の大火で役場など22棟が全焼する火事があったとき、この山の山頂に至ると全て消え、大惨事を免れたという言い伝えがあり、火除けの神様として現在も地域のみんなさんがお祭りを行っています。
 火の神様の祠の前の広場。ここでは昔、相撲をしていたそうです。
  史跡巡りウォークラリー
 
◆説教所
 苓北町の鎭道寺説教所として建てられました。
 4回の火災に見舞われたものの、御本尊の如来様は毎回難を逃れたそうです。
  史跡巡りウォークラリー
 
◆福連木神社
  前氏子総代会の野畑会長から説明していただきました。
  尾上家の9代庄屋尾上文治により、文化10年(1813年)に神社を建て、神輿を作り祭を行ったそうです。
  史跡巡りウォークラリー
 
◆義田の碑
  寛政年間(1800年頃)米の不作が続いたときに、村民の救恤田として用意した水田があったそうです。
  この水田でできた米を救援米として、村民に配ったという記録があり、その感謝の意味で、後に村人によって義田の碑が建てられたそうです。 
  史跡巡りウォークラリー   
 
◆尾上家本家跡
  尾上家は代々福連木の庄屋。徳川幕府から槍の柄木の樫林取締役として任命され大庄屋と同格の権利を与えられていたそうです。今でも昔の石垣がそのまま残っています。
  史跡巡りウォークラリー
 
◆川向の観音様
  古くから、目や歯の神様として信仰されています。おっぱいの出が悪いときなどお参りすると御利益があるそうです。文政2年(1819年)12月という石碑が建っていました。
  史跡巡りウォークラリー
 
◆山王権現
 川向地区の山王山(福連木では”さんのやま”とよばれています。)の頂上に石の祠が祀られています。昔は、小さな手鏡が祠の中にあったそうですが、今回は見ることができませんでした。
 昔は、この山にお城が有りその先祖の霊を敬い9代庄屋の尾上文治が文化14年(1817年)建立となっています。
 また、この付近には、城の口、城の首、車の迫などとお城にちなんだ地名が残っています。
  史跡巡りウォークラリー 
  
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