『福連木の子守唄』について
江戸時代から当地区には300ヘクタール近い、主に樫の木ばかりの天然の美しい美林が広がっていました。
この山は「角山」といい、地区民の共有林であり稼ぎ山でした。この稼ぎ山から切り出された樫の木は、日本一の槍の柄木として知られ、幕府の山として200年という長い年月、樫の木は幕府納めとなりました。
幕府の山(官山)になると同時に、「おはやし」、「おとめ山」といわれて地区民は一歩も山に踏み入れることができなくなり、稼ぎ山がなくなってしまったことで苦しい、寂しい生活を強いられ、小さなかわいい娘たちまでもが子守奉公として出稼に出て家計を助けました。
娘たちは異郷の地でまじめに務めましたが、夕方になってあの赤い夕焼け空を眺めると故郷懐かしさに「父ちゃんー、母ちゃんー」と両親を呼びながら、望郷の念にかられたのです。寂しかった、子守の心情を歌に託したのです。
◆『福連木の子守唄』歌詞の意味◆
(左の歌詞と見比べてみてください。)
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一 ねんねこ ばっちこいうて
あやし寝かしつけても寝ない子はたたいて たたいても
寝ない子は おしりをつねりなさい
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二 ねんねこばっちこは
子守の役目 そう言って
寝かしつけて 楽をします
三 私はお盆までしかここにいません
盆から先は この家(奉公先)にいても
良い着物も 着させてもらえないからです
四 私が死んだ時は
誰が泣いてくれるのかなぁ
山のカラスと両親だけだろう
五 私が死んだ時は
人通りが多い道沿いに埋葬してください
人が行き来するときには
花を生けてもらえます
六 花を生けてもらうと言っても
柴はたてないでください
椿やつつじの花(きれいな花)を生けてください
※ねんねこ ばっちこ
歌詞に意味はなく、子供をおんぶしてあやしている様。