今も息づく宗像堅固氏の偉業
楠浦村庄屋であった宗像堅固氏の偉大な事業が今も息づいている。
一つは、釜の迫の堀切りである。楠浦小学校の東方の広大な水田は干拓地である。明和元年(1764)栖本湯船原村庄屋猪原兼兵衛氏が干拓に取りかかり、その後、牛深村万屋助七氏の手に渡っていたのを安政六年(1859)宗像堅固氏が譲り受けた。方原川の洪水による土砂の流れ込みや締切り堤防の破壊を防ぐために、川の流れを変える釜の迫の開削を決断し、元治元年(1864)足かけ4年の歳月をかけて完成させた。4,383坪の岩山を手作業で掘削し、幅13m、全長545mに及ぶ人口川を人夫延べ4万1000人、鍛冶工延べ1,300人を動員している。これを完成し、祝いの唄が『掘り切り唄』である。
二つ目は、楠浦の眼鏡橋である。楠浦と宮地との往還を結ぶために、方原川にアーチ型の石橋を架け、雨期でも川を渡れるようにした。橋は優美で堅牢。長さは26m、幅は3㍍。明治11年6月11日から80日間で完成している。石材は下浦石で、石工も下浦の松次、打田の紋次、足場枠組大工は楠浦の和田茂七である。平成18年5月に県指定重要文化財に指定されている。