お彼岸の「彼岸」は、「到彼岸」という言葉に由来します。「到彼岸」とは、サンスクリット語の「パーラミター」(漢字で「波羅蜜))を漢訳したもので、「到彼岸」の彼岸は、迷いのない悟りの境地を意味します。彼岸に対して、私たちが生きている煩悩に満ちた俗世間が此岸。こちら側(此岸)の私たちが、あちら側(彼岸)に到るための仏道修行を「到彼岸」といいます。
やがて、悟りの世界である彼岸を、死後の安らかな世界である浄土と捉えるようになり、現在のように亡くなったご先祖様に想いを馳せる「お彼岸」が定着していったようです。

彼岸会は春分の日、秋分の日を中日(ちゅうにち)として、前後三日ずつ一週間にわたり行われる法会ですが、この時期に彼岸会を行なう理由は、太陽の動きと関係があります。
浄土教では、極楽浄土は西の方角にあると考えます。浄土経典の『観無量寿経』には、極楽浄土を想像するための十六の方法が説かれていますが、その一つとして、西に沈む太陽を見て極楽浄土を想う「日想観」という方法があるほど。ここから太陽が真西に沈む春分・秋分の日に、西方浄土を想像し、ご先祖様を供養する習慣が生まれました。

浄土教が日本に広まった平安時代から、お彼岸も普及し始めますが、とくに大阪の四天王寺の西門が極楽浄土の東門と向き合っているという信仰は有名で、お彼岸には、西門から難波の海に沈む太陽を眺め、極楽浄土を想う人々であふれかえったと言われます。

「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるように、お彼岸はちょうど季節の変わり目。この時期に、太陽とご先祖様に収穫を感謝し、豊作を祈るという意味合いもお彼岸にはありました。お彼岸は、他国には見られない日本独自の仏教行事ですが、農業文化に根ざした太陽信仰とも密接に結びついていたのでしょう。だからこそ、広く民衆に定着したとも言えます。

お彼岸とお盆にはお墓参りを忘れずに。