遅くなりましたが、平成30年度企画展へのご来場ありがとうございました。

会場で行っていた「ポストカードプレゼントクイズ」にご参加くださった方も
誠にありがとうございました。

ポストカードの残部を、現在アーカイブズ本館受付に置いていますので、
立ち寄られた際はどうぞご自由にお持ち帰りください。



また、会場でのアンケートに、
「天草での海路、陸路に関する思い出」
についての質問項目を載せていたのですが、
当サイトで公開可とされた方のエピソードをちょっとご紹介したいと思います。


●天草に来て道路の山砂にびっくりしました。(八十代・女性)

この方がいつ天草へ来られたかはわかりませんが、
天草は昭和41年に天草五橋が架かり陸続きになっても、
本土に比べ島内の道路状況がまだ良くなく、
砂利がかまぼこ型に積まれた道路も多かったと聴きます。
架橋前の天草の郷土新聞『天草民報』にも、
「悪道に島外人も嘆息 国道を林道と思い込む」
と、このような見出しの記事も見受けられます。
(天草は全国の離島の中で最も早く国道ができた島でした。)



●幼い頃、亀浦~﨑津~大江の渡海船に乗り、一日を過ごしていた時期があった。
船からの風景と行商のおばさんや、神父さんとの会話を印象深く覚えている。(六十代・男性)

企画展では、昭和6年の郷土新聞『みくに』から
亀浦~﨑津(~大江)間の船便を取り上げてご紹介しました。
企画展準備中に資料を見ていると、
亀浦~﨑津~大江航路は昭和20年代はいったん無くなったようですが、
昭和30年頃に復活したようです。
少なくとも昭和37年に﨑津~大江間道路が開通するまでは運行していたと思われます。
この方は、その昭和30年代の船に乗ったのでしょうか。
神父さんが山道を通って﨑津・大江の教会を行き来していたという話はよく聴きますが、
船も利用していたことがわかるエピソードです。


★アンケートへのご協力ありがとうございました。
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