8 明治の禁教政策


シリーズ⑤


 1868年(明治元年)、明治政府によりキリシタン禁止の高札が掲げられました。通称「太政官高札」と呼ばれています。

 新時代明治を迎えても徳川幕府の禁教政策は引き継がれ、キリスト教は邪教であるという考え方は変わりませんでした。

 しかし、この高札は5年後の1873年(明治6年)に撤去され、長く苦しいキリシタン弾圧の時代が終えんを迎えることになります。


高札が撤去された理由

 高札が撤去された理由はなんだったのか。それは、簡単に言うと外国の圧力です。


 江戸時代の鎖国政策が解かれ開国したなかで、明治政府は日本と諸外国との間にあった不平等条約解消のため欧米諸国と交渉します。そのなかで「キリスト教を迫害している国とは対等に交渉できない」と要求をつき返されたのです。

 

 それだけでなく、交渉をするために欧米諸国を訪れ、近代化された各国と日本の差を目の当たりにして、このままでは日本が本当に侵略されかねない、という危機感を持つようになります。

 それで、派遣された人たちは、「高札を撤去し、キリスト教を解禁すべし」と連絡したのです。

 


2021年07月30日更新