からいもと盗人
むかし、須子に太助どんという船乗りがおらしたって。
太助どんな、あっちこっちの産物ば運ぶ仕事ばしとらしたけん、ある日、薩摩ん港に立ち寄らしてたって。
そん晩、取り引き先の商家に泊めてもろて夕食ばごっつにならした。そん夕食にゃ、今まで見たこつもなか、丸くて両方のとんがった食べ物んの出とったって。
ひと口食べてみた太助どんな、
「こりゃ珍しか、舌のとろくっごつうまかが、一体何でござすか」
と、主人にたずねらしたって。
「からいもと言うもんでごわす。」
主人と太助どんな、そっから夜んふくっとも忘れて、からいも談義に花ばさかせらしたって。
翌日、別れぎわになって、ふと昨夜のからいも談義ば思い出した太助どんな、
「御主人さま、私もからいもば作ってみゅうごつなりやした。種いもば是非譲ってもらえんでっしゅか。」
と頼みこんでみらしたって。
主人な、顔色ばかえて
「からいもは御禁制品でごわす。他国者に渡したことが知れれば首がとぶ
もうす。」
「そりゃどうも無理を申しやした。」
太助どんな、からいもに心ば残しながら船出することにさした。
船が港ばはなりゅてすっと、主人がかけ寄ってきて、
「太助どん! そのわら包みは、おまはんの忘れ物ではごわせんか。」
て砂の上ば指しておめかした。
太助どんな、急いでわら包みをかかえて船にとび乗らした。
そんわら包みの中にゃ、まぎれもなか御禁制のからいもが入っとったって。
「急げ、急げ、無事でなぁ太助どん!」
太助どんな、主人のうしろ姿ば拝みながら港ば離れらした。
さて、須子のわが家へ無事もどった太助どんな、早速、拍持の畑に植えてみらしたって。
やがて、つるんのびて地面いっぴゃ這い回った。
「こりゃいかん、竹ん棒なっと立てて登らせんば。」
と支柱ば立てらしたばってん、やっぱり地面ばっかり這おうてするもんで、太助どんな、
「まこて、何て手のかかるやつかい。」
とぶつぶつ言いながら培てらしたって。
ひと月、ふた月たって、畑いっぱいはびこったばってん、いっこうに花ばつくる気配のなか。
そぎゃん、こぎゃんしとる内に秋になって、葉の枯れかかってきたって。
「まこて、どういうやっじゃろか。とうとう実もならんじゃったばい。」
太助どんな、あん、うまか味ば思い出しながらも半ばあきらめよらしたって。
そぎゃんしたある日の夕方、1人の男ん、忍び足で畑に近づいてきたって。それは盗っ人じゃった。
盗っ人は、珍しか物ば作っとる。いっちょ盗んでやろうて、前々からねろとったらしかもん。
「だんもおらんごたる。何のなっとっとじゃろか。」
盗っ人は、手探り足探りでごそごそ見つけてさるきよった。
「こらっ!」
ちょうど見まわりに来た太助どんな、盗っ人ば見つけて大声でおめかしたって。
たまがった盗っ人は、畑から逃ぎゅどもて走り出したばってん、つるに足ばとられてひっくりかえってしもたもん。
そっでん、はるばいながら泡くって逃げてはってたって。
「ひどか奴もおるもんじゃ。畑はめちゃめちゃたい。」
カッカきて、盗っ人ん荒らした畑ばかたづけよらした太助どんな、
「ありゃりゃ、こりゃまたどうか。」
思わず、大声でおめかした。
何というこつか、盗っ人んひっかきまわしたつるにゃ、あん夢にまで見たからいもんいっぴゃぶらさがっとっじゃなかかな。
太助どんな、あわててほかん土も掘り返してみらしたって。
そしたら、出るこつ、出るこつ。からいもんごろごろ出て来たって。
「ハッハッハッ、こりゃうっかりしとったばい。根にあってにゃ知らんやった。」
太助どんな、きゅうりのなすびのてんごつ花ん咲て、つるになるもんとばかり思とらしたって。
「こりゃあ、盗っ人さまさまばい。」
そるから以来、天草んどこにでんからいもば作らすごてなって、村人たちん生活ばささゆるごつなったって。
【原文】
有明の民話切り絵画集(昭和56年11月1日・有明町教育委員会発行)
※本文は、原文のまま掲載しています。
絵・江崎正博氏(元島子小学校教諭)
※この絵は、有明の民話切り絵画集(昭和56年11月1日・有明町教育委
員会発行)P7をコピーしたものです。
須子地区振興会では、平成20年度から民話で出てきた
「須子」の「拍持」の畑で、さつまいもの試作・販売を始め
した。
平成20年6月の苗植えの様子
平成20年11月の収穫の様子
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老岳の神様
むかしむかし、須子の海岸に大きな岩と小さな岩があったって。
ある日、この2つの岩が世間話ばさしたそうな。
「おうい、大岩どん、こんごら世の中んせわらしゅうなったな。」
「ほんとばな、おばさんたちは腰巻きばほさすし、子どもたちゃ汚ればひっつけ
たり、石なげたりで困っとりやす。」
「どこか静かな所はなかもんじゃろか。」
この2つの岩は、実は神様で、この辺に住みついとった頃はそれはそれは、美
しか所で、海の向こうには雲仙岳、水はすきとおって魚もいっぱいおったそうな。
それが、人間どもが住みついてからは、人間臭うなって2人の神様はほとほと困
っとらしたそうな。
「雲仙岳まで飛んでいくとは無理じゃろうもんな」
「そりゃちょっと遠すぎるけん、老岳のてっぺんはどうかな。」
「そりゃよか考えばい、さっそく飛び移るごつしょうだな。」
2人の神様は、相談がまとまり、早速とび上がることになったって。
「そんなら、頂上にはよう着いた方が老岳ん神様になるこつにしゅうだな。」
ジャンケンさしたら大岩の神様が勝って先にとび上がることになった。
「ヤーッ」
大岩の神様は、かけ声と共に飛び上がらしたばってん、体の太かもんだけん、
山のすれすれのところば飛んで行かしたって。
とこるが、こん頃の老岳は、原始林で太か木のカズラのてんいっぱいおいしげ
っとったもんだけん、カンネカズラに足ばひっかけて、つっこけてしまわしたって。
そるば見とらした小岩の神様は、
「こりゃうっかり飛べばつっこくるばい。」
て言うて、心ば落ちつけて一気に飛び上がらしたそうな。
そして、小岩の神様は約束通り老岳の神様にならしたって。
さて、途中でつっこけらした大岩の神様は、今でん老岳のふもとの大浦ん山
ん中に、ビックン石て村人から呼ばれて、太かずう体ですわっとらすもん。
【原文】
有明の民話切り絵画集(昭和56年11月1日・有明町教育委員会発行)
※本文は、原文のまま掲載しています。
絵・江崎正博氏(元島子小学校教諭)
※この絵は、有明の民話切り絵画集(昭和56年11月1日・有明町教育委
員会発行)P7をコピーしたものです。
「大岩の神様」と「小岩の神様」が飛び立った場所
※詳細はこちら→→須子今昔物語
小岩の神様(老岳の神様)の鎮座する老嶽神社
大岩の神様 ※大浦砂防ダム付近にあります