3月11日の東日本大震災以降、区の総会・老人クラブ総会・青壮年会総会などで1792年に 発生した“島原大変、肥後迷惑”の話をしています。 眉山(標高870m)が爆発的大崩壊を起こし、眉山溶岩が流れ落ち城下はすべて埋没、 有明海に流れなだれ込み、大津波が3度発生したそうです。 島原地方では、平潮位より19間から30間の波高で、島原領内で約1万人の流死者が発生。 大津波が対岸肥後領を襲い、約5千人の死者、天草では343人の溺死者(他の記録では、 約1000人の死者)、牛馬約100頭の流死があたそうです。 五和町の若宮神社がある高台などに慰霊碑があります。 伝承では御領の芳証寺では階段の12段まで来たそうで、標高約7~8m。 芳証寺にも慰霊碑があり、この碑の文字が消えたときには、再び大きな災害があるとの ことです。今回の東日本震災も予言どおりでしょうか、文字が一部はげていました。 慰霊碑は、その他にも富岡、都呂々、有明町などにもあります。 須子では、標高5m~8m程度の津波があったそうです。 標高とは、東京湾の平均海面を0mとした基準を元にしています。 |