細川忠興と玉(細川ガラシャ)の三男として生まれた忠利は初代肥後藩主として活躍している。日本にはキリスト教と西洋文化が伝来し、細川家では葡萄酒を製造したり、忠興・忠利の花押とローマ字印は、大友宗麟、黒田官兵衛なども使用しており、デザイン性や文化受容について興味深い。