≪夢ばかたろう≫の天草探検
藍の巻
現代学校教育批判論
地球人類2000年来の苦悩は宗派対立です。が、日本にはそれがありません。
国づくり
東日本大震災によって九州新幹線全線開通に向けた企画も吹っ飛びました。外国人観光客も激減しました。
-国力とは何か…それは軍事力でも経済力でもない-と何かの折に書いた記憶があります。
若者が一度は行って見たいと憧れる国づくりを政治家は目指さなければなりません。
その昔、世界中の若者は天竺を目指しました。そしてイスタンブールの時代…私の少年時代は人々がパリに憧れた時代でした。
近年、日本文化の良さが外国人に認められるようになってまいりました。観光客が来る為には当然平和が大条件です。
9.11から途端にアメリカは見放されましたし、アフガン・北朝鮮には誰も行こうとはしません。
国づくりはふる里からです。(ふる里は小学校からです。外国の貧しい村を支援する時も洋服より食べ物よりも先ず幼稚園・小学校からですね。しかし日本の小学校はどんどん廃校されております。小学校がなくなると町は無くなり、貧困化します。そんな危機的日本を見放して海外支援に力を入れる奇特な人も日本にはいます。素晴しい国民性ですね)
日本文化
日本文化の土台は着物文化です。着物文化を理解せずに日本文化を理解するのは不可能です。
茶道/華道・武道・すし…上辺だけの知識で日本文化を理解したと勘違いされても困ったものです。
東日本大震災の報道で日本人の思いやり深さが外国人をうならせましたが、日本人は心が広いとお思いですか?
実は、戦争難民を受け入れようとはせず、日本国籍を取得するのに高いハードルを設けた島国根性の国民ですね。
コミュニケーション
日本人はどうもコミュニケーションがへたくその様に見受けられます。
諸外国の子供たちが肌の色も違って言葉が通じなくともすぐにボール遊びを始めるのを見るとうらやましくなります。
コミュニケーションとは話し合いではありません。
北朝鮮の拉致問題も『対話と圧力』などと言っている様では何年経ってもちっとも進展しないでありましょう。
話し合いで解決できることは少ない、実は、議論してはいけないことも在るのです。議論したのではお互いを理解できない、むしろ対立を深める結果に行き着くこともあるのです。
国際紛争も貿易も決め手はコミュニケーションです。行政のここがずれている!
企業が欲しがる人材は学歴ではありません。誰からも好かれるコミュニケーション能力の高い人材、これを身に付ける為の学校です。
コミュニケーション手段で一番大切なことは言葉です。外国語を習うときに先ず覚えるのが挨拶ですね。挨拶の仕方は民族によって違います。間違えると相手を怒らせることにもなりかねない。きちんと挨拶が出来ること、行儀・作法を身に着けること、これを教養と言います。日本人同士、同一民族間でもそれは同じことです。が、学校では教えません。
日本の学校の先生は友達言葉ややくざ言葉で接することに努力しておりますので国際社会に通用する社会人が育つのは至難の業です。「こらぁ、てめぇ」 と 最近の女の子向けの漫画でも変な日本語です。(日本の学校で英語など習わずに子供の頃から出稼ぎに行ったほうが良いかも知れません)
教養のある先生を見かけないのは人格形成を無視して丸暗記知識試験だけで教員資格を与えているからです。
教職員の犯す犯罪は低レベルで子供っぽいですね。それが文部省の発達水準です。
戦後、教職は聖職と盛んに言われ、教育の独立を謳いながらもまったく形を成してはいません。それもその筈、人事と予算と言う根本を行政に掌握されております。教育界だけでなく広く研究学会の上下関係の厳しさも日本の特徴です。校長先生が雇用している訳でもないのに逆らえない。博士号を頂いてもなお学閥から抜け出すことが出来ない。システムがそう出来上がっているのです。日本の大学には行かないほうが良い、行けば能力は潰されるシステムです。岡本太郎のような世界に通用する天才が育つことなど望めません。
着物文化
イブニングドレスを着て野点(のだて)をしてもお茶の作法は身に着きません。
お相撲さんがジーンズを履いていたのでは相撲社会はたちまち崩壊するでしょう。部屋から部屋へとトレードされる様になるかも知れません。(その前に八百長相撲でしょうか)…教育が崩壊したのは先生が着物を着なくなったからです。先生のジャージや運動靴は小さくて子供には入らないのが普通ですもの。
昔の日本人はうるさく説教したり、法律で罰則したりで教育してきたのではありません。むしろ日本人は寡黙で、無言のうちに民族の誇りと伝統、社会秩序を伝えてきました。そこに着物の役割があったのです。黙って襲名の標し半纏なり、紋付の羽織袴を用意されたときに『今日からこの家の主だ』と心の内側から自覚と決意が湧いてきます。『先祖を敬え』とお説教で教育したのではありません。
最近では箪笥の中に着物が無いと言うご家庭が増えているようです。年に一度、ひな祭りの時だけでいい、たった一度のお母さんの着物姿を子供は生涯忘れません。初節句に大人ばかりで夜遅くまで飲んで散財しても〈ヤマトナデシコ〉を絶滅の危機から救い出すことは出来ません。とりわけ男物の紬をお持ちでしょうか?ご主人が年に一度、お正月に着物を着て上座の指定席に座って家族が揃うのを待つ、うるさい訓示を垂れるでもなく新年を迎えたことを喜ぶ、そんなご家庭とそうでないご家庭とでは子供の出来がまったく違います。最近では大黒柱が役割を果たせず家庭崩壊が増えました。団塊の世代の教員はほとんど子育て失敗組です。
国民栄誉賞第一号の王貞治さんや小泉八雲(ラフカディオハーン)が日本に同化できたのは着物文化を身に付けたからに他成りません。一方、日本で生まれ育って四代目になってもなお儀式の時にはチマチョゴリを着るのが慣わしであれば朝鮮系日本人とは言ってもらえません。日系米国人・イタリア系米人等が沢山いるのとは大違いです。
服装は単なる被服ではありません。周りの人の為にあるのです。営業マンはきちんとネクタイを締めていなければ話を聞いてもらえません。最近の学校の先生は子供に話が聞いてもらえる格好をしているでしょうか?
スノーボードの日本代表が履いているルーズパンツを法律で咎める事など出来ません。学校の先生の指導の結果です。なぜいけないのか説明できますか?
日本家屋
東京の歌舞伎座が建替え中ですが、歌舞伎を演じるには舞台が必要です。着物文化を守るのに日本家屋はなくてはならないものです。ビルの中に着物だけ展示していても日本流の行儀・作法・挨拶の仕方は伝わりません。
また、民具や骨董品をいくら展示しても日本文化・着物文化を理解できるものではない。「民俗資料館」が全国何処にでもあるが、学ぶものが無い、行けばがっかりする資料館ばかりだとある学者が講演しておりました。ならば…文句ばかり言ってないでお手本を作らなければならない。行政では不可能に等しい。向いている姿勢が違うからです。
ふるさとの家
日本民族文化史資料館 とは!
外国からのお客様に物言わずして語りかけ、日本文化の良さを知って頂く。
そんな資料館が今こそ求めれれております。
宮路岳ふるさとの家は築103年(登録文化財の西洋風本渡文化交流館より一世代旧い)
建物事態が展示資料です。柱はすべて接いであって高度な大工技術が一目でわかります。珍しい二間の床の間も雨戸も茶渋を塗ってそのままオーナーは残しました。地域の人々の誇りであり何度も足を運ばれます。あと100年は残さないといけない、その為の利用方法として資料館にすると言う構想に歓喜されました。
一偶を照らす
比叡山延暦寺の開祖の言葉「一隅を照らす是即ち国宝也」 日本文化の根本、これを子供たちに伝えなければ100年後に日本は売却済みとなっているかも知れません。(100年前の日本文化は既に国外へと流出しているように…)
なぜ天草か?
館内をご案内いてしましょう。その前に想定顧客は誰かと言いますと、主として外国人観光客です。
天草コレジヨ
(新天草学林) とは !
我が国初で唯一の大学が天草には在りました
写真は有名な教科書の一つ、発行は1592年です |
写真 |
それは、宣教師の養成学校でした
戦後日本の復興も師範学校の開設から始まりました
町興しは学校から始まります |
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新しく開設を目指すコレジヨはこんな学校です
天草を国際平和の砦とする、天草の産業を発展させる為の教員の養成施設 漁師も『師』です(ガイドブック≪朱の巻≫参照)
・年齢制限無し、無試験入学、入学金不要、入学式はあっても卒業式が無い
・天草在住であれば何時でも誰でも学生であり教授にもなれる
学籍を維持する条件は一年に最低2回、(学校行事・または希望のカリキュラム)に出席することなど。(講師は農家や猟師・大工さん陶工etc)
・外国語カリキュラム(特にスペイン・ポルトガル語)を全国の大学から誘致する
滞在生活型で食文化も宗教的生活習慣も学ぶ
・学生証特典があり、資格も認定される ・職業訓練施設・ご当地産品の生産工場・観光施設・土産品販売所・宿泊宴会も出来る ・出資者が理事、役員
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開設支援金の振込先はこちらです
(株)ゆうちょ銀行 718 |
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記号・番号 17140・13171461
名義 宝島天草探検隊
住所 〒863-2421
天草市五和町二江1517-15
(通信欄にメッセージをお書きください) |
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『医学史資料館』の開設に着手しました。(バーチャル)
梶原嘉辰氏提供
梶原嘉辰氏最新刊『天草ぶらりスケッチ点描』からの転載です。
船之尾町の旧梶原産婦人科医院の建物で、㍼2年完成、82歳
これは旧教育会館(現天草文化交流館)の大先輩となり、登録文化財の資格十分といった風格です。
『医学史資料館』では天草の地名に相応しく、
東洋医学と天草に自生する薬草
キランソウ(別名・地獄の釜のふた) ムベ(むべなるかな!) 蓼(タデ食う虫も好きずき)
・(コレラに対する処方を書いた古文書が、庄屋役宅に残されております)
ルイスアルメイダ神父と共に伝えられた西洋医学
・(杉田玄白を初め、オランダ渡りの医療技術が天草に伝えられております)
近代の浦田タダや北里柴三郎など郷土が生んだ医学会の先駆者
・孤児院・その他を総合的に紹介していきます。
そして大切なことは、現代医学と医療行政の在り方に疑問を投げかけることが出来たら成功だと考えております。