今から20年前、平成9年1月31日午後6時26分、主人は川崎市立井田病院で亡くなりました。2か月前に肩が痛い、と云ったのが始めでした。半年前の人間ドックで肝臓の検査数値が高いので、お酒を控えて気を付けるように言われていましたが晩酌は欠かしませんでした。新潟の銘酒(越の寒梅)を温めずに呑みました。東海大学医学部大磯病院の主治医の先生の診察で取りあえず入院し、10日後手術も出来ないので家に帰るように!只茫然としました。それから二ヶ月、家で過ごしましたが痛みが出てきたので井田病院に入院し、5日後宮森先生の優しい手当を受け痛みもなく私の腕の中で静かに息を止めました。発病してからたったの2カ月、余りにもあっけなく信じられませんでした。斎場は借りず祭壇も設けずにお花をいっぱいにして、家で弔いました。義母の実家が浅草の「土手の加藤」という大きな材木やだったので、ヒノキのお棺を誂えました。身長が183センチあったので中々見つからず、葬儀屋さんが東京の最西端・橧原村で探してくれました。次姉が呉服屋に嫁いでいて、自分の主人用に誂えてあった白の羽織袴で旅立ちました。
夢の様な20年です。優しかった主人は私がもう駄目だ!と思った時にはきっと、きっと迎えに来てくれるはずです。残された時間は短くても待っていてくれる人がいるので再会の期待があります、それまで楽しく生き、生かされます。

祥月命日20年
2017年01月31日更新