天草の友人から「捕れたて鯖で母譲りの昆布巻きや黒豆、栗きんとんを作っています」とLINEが入りました。受験でお正月に来られないお孫さんに送るのでしょう。私は遠い昔を思い出して胸がいっぱいになりました。30数年前、浅草から息子の近く、横浜に移ってきた両親は、おせち料理を創ってくれて大晦日、仕事を終えた主人が貰いに行っていました。浅草の材木屋の長女の母は蝶よ花よ、お花に茶道、と育てられお料理も上手でした。平成元年、亡くなる二年くらい前からお節を造らなくなりました。私達は両親と同居するために庭の一隅に離れを建てて準備しました。離れが完成する直前、様子を見に両親の家に行ってみると、母が布団に座り込んで咳こんでいました。少し喘息気味だったのです。私は思わず駆け寄って(お母さん、お母さん、私におぶさって!)と夢中で抱き起しました。今考えると、そういう時男の人は意気地の無いもので主人も父も役に立ちません。今考えると私も何故救急車を呼ばなかったのか、家の近くの病院にすぐに入院しましたが、母は離れの完成を待たずに亡くなりました。母のタンスの中には私達が毎月渡していた生活費の袋が沢山出てきて驚きました。私はおせち料理は創れない!出来の悪い嫁であった私は、両親から大事にされ辛い思いをした記憶がありません。母が懐かしい、愛しい❣
友人のお孫さんも心の籠もった祖母のおせち料理を幾つになっても思い出して感謝することでしょう!年の瀬に頂いたLINEで母への感謝の思いを新たにしました。お母さんの隣に骨壺置いてもらおうかな~!

姉の20年忌-1
2020年12月29日更新