私の姉は平成4年に胃癌で亡くなる時、知的障害を持った一人息子の後見を私に託しました。哲也はその時30歳でした。生まれて1年経っても様子がおかしく、障害を持っていることが分かりました。姉は離婚し、哲也は父方の祖父母に引き取られとても可愛がられて成長しましたが言語障害、咀嚼障害、歩行やっと、でした。この、哲也の祖母は私の母の妹で、従姉妹同士の結婚で、周囲から猛反対を受けましたが、結果この状態になりました。祖父母が亡くなり、父親が昭和45年、セスナ機を操縦、広島の山に激突亡くなり、姉も亡くなり、千葉の施設に入れました。時は流れ、面倒を見てくれる人も老いてきました。天草苓北慈恵病院の永野理事長先生に相談し、五和町御領にある「障害者サポートセンターゆうすい」に転居させ、面倒を見ていただいています。今年9月に53歳になります。天草に来るたびに面会に行きます。A4のコピー用紙、ビニールの紐、TV番組の本、メモ帳、これらがお気に入りで必ず持って行きます。一昨日、部屋にお友達がいて吃驚!!仲良くしていて安心しました。今度はいつ来るの?と必ず云います。地震は大丈夫だった?と聞いたら、大丈夫!ですって。元気でいてくれて良かった。

哲也
2016年06月15日更新