先日、沖縄の和田静子さんからクリスマスのリースを送っていただいた記事を掲載させて頂きました。その後、12月20日の朝日新聞の朝日歌壇に佐々木幸綱先生の選で和田さんの次の短歌が掲載されていました。
「わが宿は 河口のあたりマングローブに 潮差し潮引き 秋移りゆく」(沖縄県 和田静子)とありました。和田さん曰く、「私が15年前、家を建てる土地に ここを選んだのは、海に近く、川に近く、川に面していて風景に変化があるという点が気に入ったからです。対岸のマングローブ林にはサギやセキレイ、コゲラやイソヒヨドリや越冬するツバメが来ます。日に二回潮の満干があって汽水ですから、海の魚、ボラやグルクン、や大きなカニがのぼってきて、観光客は家の前の側壁で釣りをしています。もう一首お目にかけます。(白き巨花 かかげるごとく マングローブに鷺は集い来 台風接近)朝日歌壇。2019・10・20、高野公彦選。」とありました。沖縄で朝日新聞を取り寄せ契約するには、新聞は一日遅れ、料金も通常の二倍くらいするそうです。大変!又、長くなりますが、2020・12月19日、朝日新聞の「声」欄特集、語りつぐ戦争・戦後75年の和田さんの採用された投稿記事をお読みください。
「終戦の詔勅 暗唱させた胸の内は」無職 和田静子 (沖縄県 85)
1945年(昭和20年8月15日、(終戦)の詔書を読み上げる玉音放送を学童疎開先の福島で宿舎の庭に整列して聞いた。私は10才、国民学校5年生。内容は殆ど理解できなかった。何日か経って先生は、当時貴重だった白い紙を一枚づつ配り、黒板の詔書の言葉を写して暗唱せよと言われた。その時の先生のお気持ち、ご苦労は想像に余りある。前日まで「天皇は神様、日本は神の国だから絶対に負けない」と教え教育勅語や歴代天皇名を暗唱させていたのに、突然、「あれは間違いだった」となった。では、明日から何を教えればいいのか。列車は殆ど動いていない。子供たちを無事に東京の親に引き渡せるだろうかー。途方にくれた先生は、詔書を暗唱させることしか思いつかなかったのだろう。10月15日、ようやく東京に帰れた。やせこけて虱だらけの私を見て母は泣いた。10歳の私が敗戦に学んだのは、先生さえ嘘をつく、間違える、新聞・ラジオの報道も信じてはいけないということだ」すみません、長くなりました。私と同じ年齢、私も少なからず戦争体験者,いつの日か当時を思い出してみたいと思っています。和田さんは学生時代から頭が良くて真面目な人でした。中学校の時台東区の文化祭に英語劇「金の斧と銀の斧」を和田さんが正直爺さん、私が欲張り爺さんの役で演じ、その時の台詞の一部を覚えています。和田さんの物の考え方、生きる姿勢、私も大いに触発されています。和田さん、これからも宜しくお願い致します。
2020年12月26日更新