今日の朝日新聞朝刊のトップに、11日、地震後初めて報道陣に公開された熊本城の記事が掲載されました。
「熊本城 傷ついた姿」国の重要文化財である宇土櫓が元の姿が想像出来ない程に壊れていた。とありました。
今の熊本城は、500年も前に肥後守護菊池氏の一族が千葉城を築いたのにはじまり、加藤清正によって1600年に天守が完成、関ヶ原の戦いの行賞で肥後一国52万石の領主となりました。清正が籠城戦になった時の食糧確保の為に植えた銀杏の木があり、「銀杏城」の別名の由来になったと言われますます。今回の地震で櫓や門など、国の重要文化財に指定されている13の建造物全てで倒壊するなど深刻な被害が出ていて写真を見るたびに悲しくなります。天守閣の屋根瓦の殆どが落ちた写真は、地震がどれほど凄かったのかと想像も出来ません。専門家によると、再建、復元には20年から30年の月日と莫大な費用が懸るそうですが、「一口城主制度」というのがあって、一万円以上の寄付をした人に「城主証」「城主手形」を発行すると共に、天守閣に「芳名板」を掲示するそうです。青空に聳える天守・小天守、沢山の櫓、門や石垣、機会がある度に訪れていましたが、今はただ嘗ての雄姿を偲ぶばかりです。

嗚呼・熊本城-4
2016年05月12日更新