姉が持っていた写真があります。1932年今から90年昔の写真です。昭和7年2月26日、石井政雄30才、出征記念とあります。祖母イネ67才、母キン30才、よし子6才、武男4才、幸子2才、文姉と私はまだ生まれていません。その頃、満州事変だったのでしょうか、結核にかかって帰ってきた父はその後6年後、36才で亡くなりました。結核の治療薬もなく、母は卵の黄身をフライパンで炒って真っ黒なものを病院に運んでいました。その時私3才3か月、抱き上げられて、千葉大学付属病院で鼻に綿を詰めた父の顔を見ました。覚えています。陽乃は今3才11ヶ月、笑顔の陽乃、機嫌悪い陽乃、彼女の一つ一つの行動が3才の自分を思い、どんなに父が無念であったか、母がどんなに苦労して5人の子供たちを育てたか、3月25日、父の50回忌をやりましょうと姉兄と相談していた直前、2月14日お釈迦様の涅槃の日、(おっかさんがおむつを取り替えに来てくれた)と言って83歳で亡くなりました。母の埋葬と父の50回忌が同時に営まれました。母は子供に恵まれなかった私を心配だ、と言いました。母の年齢を超えた今も両親に対する私の思いは、山より高く海より深く!とても複雑な思いを持っています。思い出すと涙が止まりません、私の涙は父と母への私が出来る最高の供養です。お父さん、お母さん、改めて有り難うございます、合掌。

古い写真
2022年01月09日更新